荻窪白山神社|関東管領の家来中田加賀守の邸内鎮守、五社権現社
荻窪白山神社の概要
荻窪白山神社は、杉並区上荻にある白山神社です。荻窪白山神社は、文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉斎、江戸時代には下荻窪村の鎮守社となっていたといいます。
社号 | 白山神社 |
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祭神 | 伊邪那美命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、田守稲荷神社、三峯神社 |
祭日 | 例祭日9月8日 |
住所 | 杉並区上荻1-21-7 |
備考 | 旧下荻窪村鎮守 |
荻窪白山神社の由緒
荻窪白山神社は、文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現社を奉斎、江戸時代には下荻窪村の鎮守社となっていたといいます。
杉並区教育委員会掲示による荻窪白山神社の由緒
荻窪白山神社
この神社は旧下荻窪村の鎮守で、祭神は伊邪那美命です。
下荻窪村が中世に村をつくっていたことは、宝徳3年(1451)の上杉家文書や、昭和54年に荻窪三丁目三十三番から宝徳前後の年号をもつ板碑が発見されていることからも知られます。
当社の起源は、社伝によると文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現を奉斎したのにはじまり、後に中田一族が栄え、ここに社殿を建てたといわれます。
当社はかつて歯の神様として知られていました。伝えられるところによると中田加賀守の弟兵庫が、激しい歯痛に悩んでいたある夜、御神託により境内の萩を箸として食事をすると不思議に歯の痛みが止ったという。この事情を聞いた近隣の人々は、歯痛もなおる神様として信仰厚く参拝者も多くなったといわれます。
その萩もかつては境内に多く繁っていましたが、今では社殿北側の老松の根元に一株残っているだけになりました。昭和43年の社殿改築の折には、古い社殿の長押から納められた萩の箸が、たくさん出てきたといいます。
社屋や数多い奉納品の中、昭和3年に奉納された神輿は百五十貫余(約563kg)もあり、また大太鼓(直径149cm)は、府中の大国魂神社の太鼓につぐ都内第二の大きさであるといわれます。
昭和42年環状八号線拡張にともなって本殿、拝殿、社務所、玉垣んどの増・改・修築や多くの奉納がなされ、今日の姿を見るに至りました。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による荻窪白山神社の由緒
(下荻窪村)五社権現社
除地、110坪余、村の西北にあり、本社6尺四方、拝殿2間に1間半南向、神体は白幣、木の鳥居をたつ。鎮座の年代は詳ならず。上荻窪村光明院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
荻窪白山神社の周辺図