成宗須賀神社|杉並区成田東の神社

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成宗須賀神社|平安時代創建

成宗須賀神社の概要

成宗須賀神社は、杉並区成田東にある須賀神社です。成宗須賀神社の創建年代は不詳ですが、天慶4年(941)に創建、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられているといいます。第六天社と称し旧くより当地成宗村の鎮守社となっており、明治5年には村社に列格していました。

成宗須賀神社
成宗須賀神社の概要
社号 須賀神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 御嶽神社(日本武尊)・稲荷神社(宇迦之御魂命)
祭日 九月第一日曜日
住所 杉並区成田東5-29-3
備考 -



成宗須賀神社の由緒

成宗須賀神社の創建年代は不詳ですが、天慶4年(941)に創建、慶長4年(1599)に再建されたと伝えられているといいます。第六天社と称し旧くより当地成宗村の鎮守社となっており、明治5年には村社に列格していました。

杉並区教育委員会掲示による成宗須賀神社の由緒

須賀神社
この神社は旧成宗村本村の鎮守で、祭神は素盞嗚尊です。社名は祭神が同じ素盞嗚尊である出雲の須賀社にちなんだものです。
当社の由緒については、近世初期に社殿を造営したとも、あるいは天慶四年(九四一)に創建され、慶長四年(一五九九)に再建されたとも伝えられていますが、安政年間に記録を焼失したため詳かでありません。しかし、いずれにしても近世初期にはすでに建立されていたものと思われます。
江戸時代の当社は牛頭天王社と呼ばれていました。これは素盞嗚尊は牛頭天王の垂跡という神仏混淆の考えによるものです。「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代の当社について「字本村に鎮座し、社は二間半に二間、・・・社から二〇間ばかり離れて鳥居を立つ、例祭は不定、農間に神酒を供す」と、記しています。
明治維新後、当社は成宗村の村社として人々の信仰を集め、昭和三十三年には社殿を新築、同時に旧拝殿を神楽殿に改築するなど、現在の景観を整えました。また境内末社としては御嶽神社と稲荷神社があります。(杉並区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による成宗須賀神社の由緒

(成宗村)成田西
牛頭天王社
除地、七畝、村の北の方字本村にあり、社は二間半に二間、神軀なし、社を隔ること二十間ばかりに鳥居をたつ、例祭定れる日なし、農間を以て聊神酒を供す。(新編武蔵風土記稿より)

「杉並の神社」による成宗須賀神社の由緒

須賀神社
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡成宗村の条に牛頭天王社とあって「除地、七畝、村の北の方字本村にあり、社は二間半に二間、神体なし、社を隔ること、二十間ばかりに鳥居をたつ、例祭定れる日なし、農間を以て卿神酒を供す」とある。創建の由来については社伝によると、天慶四(九四一)年で、慶長四(一五九九)年社殿の再建が行われたというが、安政年間(一八五四〜五九)に記録を焼失したため詳かでない。古来成宗村の鎮守で、別当は村内の宝昌寺であった。明治十二年の「神社明細帳」には当社について
成宗村字東杉並 村社須賀神社
一、神祭 素盞嗚尊
一、由緒 明治五年十一月被定村社
一、社殿間数 本殿 間口三尺奥行三尺 拝殿 間口二間奥行三間
一、境内坪数 三百五十五坪
一、氏子戸数六十三戸
とあるが、今日の須賀神社は左のごとくである。
一、祭神 素盞嗚尊
二、境内末社(二社) 御嶽神社(日本武尊)・稲荷神社(宇迦之御魂命)
三、境内地 五一八坪余
四、主要建物 本殿・拝殿・向殿一七・五八坪、神楽殿九・二九坪(旧社殿を改造)
五、例祭付九月第一日曜日
六、由緒
社伝では天慶四年の創建というが、「東京府豊多摩郡神社誌」によると、徳川の初期、この地が岡部小二郎の領地であったころ、社殿の造営があったと記されている。創祀はそれ以前と考えられるが、旧別当であった宝昌寺が安政年間に焼失し、旧記を失ったので明らかでない。維新後は別当職が廃止となって、明治五年十一月五日に村社に列し、同十四年五月神饌幣帛料供進神社となり、同四十一年十二月会計規則適用を指定される。昭和二十年十二月宗教法人となり、同三十三年秋に社殿を完成、同時に旧拝殿を神楽殿に改造、同四十三年十月社務所を改築した。財源については氏子中の浄財をもって当てられ現在に至っている。なお祭日はかって十月十四日であったが、現在は九月第一日曜日に改めた。(「杉並の神社」より)


成宗須賀神社の周辺図