白龍山宝昌寺|室町期作の旧本尊大日如来像
宝昌寺の概要
曹洞宗寺院の宝昌寺は、白龍山と号します。宝昌寺の創建年代は不詳ですが、もと真言宗寺院として創建、その後中野成願寺五世葉山宗朔によって曹洞宗寺院として文禄3年(1594)頃開創したといいます。
山号 | 白龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 宝昌寺 |
住所 | 杉並区成田西3-3-30 |
本尊 | 木造釈迦如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝昌寺の縁起
宝昌寺の創建年代は不詳ですが、もと真言宗寺院として創建、その後中野成願寺五世葉山宗朔によって曹洞宗寺院として文禄3年(1594)頃開創したといいます。
杉並区教育委員会掲示による宝昌寺の縁起
白龍山宝昌寺は、曹洞宗の寺で、本尊は釈迦牟尼如来坐像です。
当寺は、文禄三年(一五九四)頃、中野成願寺五世葉山宗朔によって開創されました。曹洞宗となるまえは、真言宗の寺であったと思われ、室町期作の旧本尊大日如来像が現存しています。
江戸時代の宝昌寺は、成宗村の檀那寺として村民の信仰の拠りどころであり、また村内の熊野神社・須賀神社・白山神社の管理をする別当寺でもありました。
安政三年(一八五六)火災のため本堂を焼失、現在の本堂は大正十年に建立したものです。この火災により伝来の古記録類はほとんど失われましたが、寺内にはなお多数の板碑のほか、区内でも最古といわれる舟型地蔵尊や庚申塔などの文化財が所蔵されています。
境内に奉安する豊川稲荷社は、明治末年付近一帯が飢饉に襲われた時、人々の災難消除と五穀豊穣を祈願して、愛知県豊川閣から移し祀ったもので、その利益はいちぢるしく、大正時代から近在諸村に豊川稲荷信仰がひろまったといわれます。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による宝昌寺の縁起
(成宗村)寳昌寺
境内年貢地、千坪、村の中央より少しく西に寄てあり、白瀧山と號す、禅宗曹洞派にて郡中野方領本郷村成願寺末、客殿七間半に四間半東向、本尊は正観音にて長一尺七寸五分の坐像あり、春日慶文の作と云、開山兼山宗翔天正九年六月十七日示寂、開基詳ならず、境内に古碑三基あり、二基は文字摩滅してよみがたし、一基は正和三年六月とあり。
位牌堂。本堂より巽の方にあり、四間に三間北向(新編武蔵風土記稿より)
「杉並区の寺院」による宝昌寺の縁起
「新編武蔵」成宗村宝昌寺の項に「開山兼山宗翔、天正九年六月十七日示寂」とあるが、山兼山宗翔については傍証がなく、また天正九年示寂は年代的に少々早過ぎるようである。年次こそ異なるが、「新編武蔵」が開山とする山兼山宗翔も寺伝の葉山宗朔も示寂年月が六月一七日と一致することと、両者の字体が類似していることを考え合わせると、「新編武蔵」の記事の方に何等かの錯誤が介在しているように思われる。
なお、当寺は、曹洞宗として開山される以前は真言宗の寺であったと伝え、その当時の本尊大日如来像は古様式の立派なものである。(「杉並区の寺院」より)
宝昌寺所蔵の文化財
- 木造大日如来坐像(杉並区指定文化財)
- 正和二年〜明応四年銘板碑二三基(杉並区指定文化財)
- 寛文三年銘石造地蔵菩薩立像(杉並区指定文化財)
- 寛文八年銘・元禄三年銘石造青面金剛坐像(杉並区指定文化財)
- 元禄七年銘石造如意輪観音菩薩坐像(杉並区指定文化財)
- 正徳三年銘石造地蔵菩薩立像(杉並区指定文化財)
- 元禄五年銘石造釈迦如来坐像
- 宝暦九年銘石造地蔵菩薩立像
木造大日如来坐像一軀
本像は頭に五智宝冠を頂き、智挙印を結ぶ、金剛界の大日如来をあらわした像高一八cm、寄木造りの菩薩形像です。製作は室町時代と考えられ、豊満な肉付け、膝前をひろくした体軀の表現に、平安前期のわが国密教像の古様を再現したあとがうかがえます。小像ながら技法は精巧で、格調ある作柄を示しています。禅寺宝昌寺は戦国時代末頃までは真言宗の寺院であったと伝えられており、現在位牌堂に安置されているこの像は美術的のみならずそうした寺の古い来歴を物語る貴重な遺品です。(杉並区教育委員会掲示より)
宝昌寺の周辺図