第六天神社|杉並区高井戸西の神社

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第六天神社|鎌倉時代の創建、上高井戸の鎮守

第六天神社の概要

第六天神社は、杉並区高井戸西にある天神社です。第六天神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代の創建と伝えられ、旧くより当地上高井戸の鎮守社であったといいます。明治5年11月に村社に列格、その後、明治30年に村内字伊勢にあった神明社(天祖神社)と、字前山にあった浅間社(浅間神社)の両社を境内末社として遷移しました。

第六天神社
第六天神社の概要
社号 天神社
祭神 面足命、惶根命
相殿 -
境内社 氷川神社、浅間神社、白山神社、天祖神社、秋葉神社、稲荷神社
祭日 9月10日
住所 杉並区高井戸西1-7-2
備考 -



第六天神社の由緒

第六天神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代の創建と伝えられ、旧くより当地上高井戸の鎮守社であったといいます。明治5年11月に村社に列格、その後、明治30年に村内字伊勢にあった神明社(天祖神社)と、字前山にあった浅間社(浅間神社)の両社を境内末社として遷移しました。

杉並区教育委員会掲示による第六天神社の由緒

この神社は旧上高井戸村の鎮守で、祭神は面足之命、惶根之命です。明治以前は第六天神と呼ばれていました。
創立年代は詳らかでありませんが、鎌倉時代の頃ではといわれています。天保年間(一八三〇〜一八四三)には本殿、拝殿が焼失してしまい、しばらく仮殿がありましたが、安政三年(一八五六)に現在の本殿ができ、最近更に中央高速道路新設にともない、鉄筋の覆殿が昭和五十年にできました。
明治以前の祭日は十一月二十二日で、宵宮になると農作業を終えた近所の人びとが、当番制で五人ずつ拝殿にこもり、お神酒を飲みながら世間話に興じ夜を明かしたということです。この「おこもり」の風習も昭和四十年頃には途絶えてしまいました。また昭和の初め頃まで「雨乞い神楽」がありました。これはお祭りをすると必ず雨が降ると伝えられていたため、日でりが続くとお祭りをして神楽を奉納しました。(杉並区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による第六天神社の由緒

(上高井戸宿)第六天社
除地、一段二畝廿二歩、村の北の方にあり、上屋二間に三間南向、内に小祠を置、社前に石鳥居を立、医王寺の持、以下二祠も同寺の持なり。
稲荷祠。二ヵ所本社の左にあり。
神明社
除地、一段四畝十二歩、村の東南の方にあり、南向なり、小祠
浅間社
除地、二段七畝二十八歩、村の西よりにあり(新編武蔵風土記稿より)

「杉並の神社」による第六天神社の由緒

上高井戸 天神社
当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡上高井戸宿の条に第六天社とあって「除地、一段二畝廿二歩、村の北の方にあり、上屋二間に三間南向、内に小祠を置、社前に石鳥居を立、医王寺の持、以下二祠(神明社・浅間社)も同寺の持なり。稲荷祠。二ヵ所本社の左にあり」とある。当社は明治以前には第六天社と呼ばれていた。創建年代は詳かでないが、鎌倉時代の頃といわれている。明治以前の祭日は十一月二十二日であった。明治十二年の「神社明細帳」には当社について、
上高井戸村字中袋 村社 天神社
一、祭神 面足命 惶根命
一、由緒 不詳
一、社殿間数 本殿間口四間奥行四間、拝殿間口四間奥行四間
一、境内坪数 二反二畝十三歩 官有地
一、境内末社 五社(各四尺四方)秋葉神社(火産霊命)、白山神社(伊弉諾命)、氷川神社(素盞嗚尊)、稲荷神社(二社、保食命)
一、氏子戸数 二百五十戸
とある、明治五年十一月に村社に列格、その後、明治三十年三月に村内字伊勢にあった神明社(天祖神社)と、字前山にあった浅間社(浅間神社)の両社を境内末社として遷移した。移転時の規模は、天祖神社(大日呂女命)が「本殿間口三尺奥行三尺、境内坪数二畝四歩」で、浅間神社(木花開耶姫命)が「本殿間口六尺奥行三尺、境内坪数五畝十一歩」を有していた。今日の天神社は左のごとくである。
一、祭神 面足命 惶根命
二、境内末社(七社合殿) 氷川神社、浅間神社、白山神社、天祖神社、秋葉神社、稲荷神社(二社)
三、境内地 三九一坪
四、主要建物 社殿平屋銅板葺拝殿木造幣殿本殿鉄筋三四坪、神楽殿九坪、社務所四三坪、末社(コンクリート造り、七殿一棟式)二・五坪
五、例祭日 九月十日
六、由緒
当社は旧高井戸村の鎮守で、その創建は高井戸村の開村と同時代と考えられ、永禄二(一五五九)年の「小田原衆所領役帳」に高井堂と記されているので、それ以前のことであろう。社伝では鎌倉時代といわれている。また、かって拝殿に十一面観音像があったという。天保年間(一八三〇〜四三)に焼失、その後、安政三(一八五六)年に本殿を、明治十四年に拝殿を落成した。本殿は総槻造り五重組上三重垂木勾欄付屋根銅板葺で、拝殿もまた総欅造りである。彫刻はともに優れ、とくに拝殿は十年の歳月をかけた深川の彫工後藤勇次郎の作である。先年、社殿前を中央高速道路が設けられるにより、社殿を後ろに引き、本殿の覆殿と幣殿を鉄筋コンクリートで昭和四十七年六月に新築、同時に拝殿の屋根を葺きかえ、境内末社をも鉄筋コンクリート銅板葺で新築した。なお、現在の祭日は九月十日である。(「杉並の神社」より)


第六天神社の周辺図