妙正寺池と妙正寺川|地底や水辺からの湧水によってできた池
妙正寺池と妙正寺川の概要
妙正寺池と妙正寺川は、杉並区清水にある名所・史跡です。妙正寺池は、三宝寺池・善福寺池・井の頭池と共に、武蔵野台地の東側の縁に位置、地底や水辺からの湧水によってできた池です。水量はそれほど多くなかったことから、江戸時代には千川用水から引水、妙正寺川として鷺宮を経て下落合で神田川に注ぎこみ、流域の水田に利用されていました。
名称 | 妙正寺池と妙正寺川 |
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みどころ | 名所 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 杉並区清水3-21 |
備考 | - |
妙正寺池と妙正寺川について
妙正寺池は、三宝寺池・善福寺池・井の頭池と共に、武蔵野台地の東側の縁に位置、地底や水辺からの湧水によってできた池です。水量はそれほど多くなかったことから、江戸時代には千川用水から引水、妙正寺川として鷺宮を経て下落合で神田川に注ぎこみ、流域の水田に利用されていました。
境内掲示による妙正寺川について
妙正寺川
妙正寺川は、妙正寺池を水源とし、区内北部をほぼ東へ流れる延長約9㎞(区内部分約1.2km)の川で、中野区・新宿区を経て神田川に合流し、最後は隅田川にそそぎ込みます。
武蔵野台地上にある杉並区では、地下6~7mに武蔵野砂礫層が堆積しており、その中を流れる地下水が、標高約50m付近にある窪地から地表に湧き出て、飲料水などとして利用されてきました。
この湧水も現在ではほとんど見ることができませんが、妙正寺池もその一つです。本川の流域には、小規模な縄文・古墳時代の遺跡が点在しており、古代から 人々の生活に適した環境をつくり出していたものと思われますが、水量はそう多くはなかったので、江戸時代になって、千川用水より引水し、神田川上水の助水として利用されてきました。
しかし梅雨の頃になると水量が増えるので、人々が集まり、竹竿の先につけたジョレンなどを使い、川をさらったり、長く伸びた川藻を刈取ったりしました。
又昔は、神奈川県の大山阿夫利神社を信仰する人が多く、その講中の人々は、代参人を大山に送る時、下流の寺前橋付近にあった「清めの不動様」を祀る大水門で、水垢離をとったといわれ、日照りが続くと阿夫利神社からの神水と、妙正寺から借りた太鼓を先頭に、大水門から村中を練り歩き、最後にその神水を川に流し、雨の降ることを祈ったといわれています。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による妙正寺池について
(下井草村)
妙正寺池
妙正寺より二町許北の方にあり、廣さ二段許、中に三間四方許の島あり、辨天の祠九尺四方なるを立つ南向、此池より流れ出る水あり、妙正寺流と云、川の幅二間餘、村内を經事廿五町餘にして東の方下鷺ノ宮へ達せり、(新編武蔵風土記稿より)
「東京府豊多摩郡誌」による妙正寺池について
妙正寺池
大字下井草の南部にあり。東西十一間南北三十間周圍百六間千二百坪、深さ數尺に過ぎず。妙正寺川は此の池より發して千川の分水と合し、東流して野方村に入り、沿岸の水田に澆いで終に神田上水に合す。此の池及び前の善福寺池は東京市の水源補助池として其の浚渫には市の補助を受く。(「東京府豊多摩郡誌」より)
妙正寺池と妙正寺川の周辺図