天長山永昌寺|四ツ谷塩町に創建、明治43年当所へ移転
永昌寺の概要
曹洞宗寺院の永昌寺は、天長山と号します。永昌寺は、寛永元年(1624)に龍昌寺5世明岩舜洞が江戸四ツ谷塩町に創建したといいます。明治43年、下高井戸2丁目にあった永泉寺を合併し、当所へ移転しました。
山号 | 天長山 |
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院号 | - |
寺号 | 永昌寺 |
住所 | 杉並区永福1-6-15 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | もと永泉寺の玉石薬師 |
永昌寺の縁起
永昌寺は、寛永元年(1624)に龍昌寺5世明岩舜洞が江戸四ツ谷塩町に創建したといいます。明治43年、下高井戸2丁目にあった永泉寺を合併し、当所へ移転しました。
杉並区教育委員会掲示による永昌寺の縁起
当寺は、曹洞宗天長山永昌寺といい、本尊は釈迦如来坐像です。
開創年代ははっきりしませんが、「続御府内備考」及び寺伝によると、寛永元年(1624)4月、江戸四ツ谷塩町(現新宿区愛住町)に建立したとされています。
開山は、同町の龍昌寺(現中野区中野6-3-7に移転)の五世明岩舜洞で、寛永12年7月に入寂しています。
明治43年、寺院の維持発展のため、現下高井戸2丁目にあった同宗永泉寺を合併し、当所ヘ移転してきました。
合併される以前の永泉寺には、玉石薬師と呼ばれる玉石があり、そのいわれは、この玉石が玉川上水永泉寺附近工事の際に、光沢ある玉石として掘り出され、その光沢の中に薬師像が浮出たことによるといわれます。
また、同寺では、工事の無事竣工を念じてこの玉石を供養したことから、近隣の信仰を集め、因んで丸薬も作られたと伝えられます。
昭和20年5月、戦災に遭い、この玉石は、本堂とともに焼かれて光沢を失ったものの、今なお、大切に安置されています。
このほか、門前と境内には、四基の庚申塔と二基の地蔵塔があります。(杉並区教育委員会掲示より)
「四谷區史」による永昌寺の縁起
天長山永昌寺は四谷鹽町三丁目なる龍昌寺末の曹洞宗で、同町二丁目今の愛住町にあつた。
境内拝領地坪數七百六十二坪餘、起立は慶長五年庚子と傳へられて、開山の明岩舜洞和尚は寛永十二年乙亥閏七月十九日に寂した。寺内に四谷の住人として異彩を放つた兵法家平山行蔵の墓があるので知られて居る。(「四谷區史」より)
廃寺となった永泉寺について
薬王山永泉寺(曹洞宗)
所在、下高井戸2-21辺。
本寺、永福寺。
本尊、釈迦如来像。
堂宇、本堂・客殿・薬師堂。
除地、1町6段1畝14歩。
備考、開山・開基不詳。明治43年同宗の永昌寺に合併された。(杉並区の寺院より)
永昌寺の周辺図