祥雲山福寿院|四谷箪笥町に開創、明治40年当地へ移転
福寿院の概要
曹洞宗寺院の福寿院は、祥雲山と号します。天正19年(1591)勝興寺開山の雪庭春積(寛永4年1627年寂)が四谷箪笥町に開創、明治40年当地へ移転しました。
山号 | 祥雲山 |
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院号 | 福寿院 |
寺号 | - |
住所 | 杉並区高円寺南2-40-5 |
本尊 | 金銅釈迦如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福寿院の縁起
福寿院は、天正19年(1591)勝興寺開山の雪庭春積(寛永4年1627年寂)が四谷箪笥町に開創、明治40年当地へ移転しました。
杉並区教育委員会掲示による福寿院の縁起
当院は、祥雲山と号する曹洞宗の寺院です。
本尊は、像高46cmの金銅釈迦如来像(江戸期)で杉並区内においてはたいへんめずらしい「金銅仏」です。
江戸時代の「御府内備考続編」には、当寺の起立は不詳としながらも天正19年(1591)に境内地を拝領したのを開創としています。一方明治10年の「寺院明細帳」には、明確に慶長19年(1614)4月を開創としており、何等かの根拠に基づいているようですが、くわしいことは明らかでありません。寺伝によれば開山は雪底春積(寛永4年1627年寂)と伝えられ、徳川幕府創業に功績のあった伊賀藩士の慰霊のために、同藩士の三浦氏等12人が開基となって開創したとされています。
当院は、「文政寺社書上」によると、麹町13丁目(現新宿区四谷2丁目)に境内拝領地549坪を持ち、間口8間半奥行5間の本堂と、他に鎮守堂、薬師堂が建てられていました。明治40年4月区画整理のため現在地にに移りました。現本堂は、昭和11年類焼で失い昭和39年再建されました。文化財として、地蔵菩薩立像(江戸初期)地蔵菩薩半跏像(江戸初期)などがあります。
本堂の裏に「東京都指定旧跡(昭和15年2月指定)」となっている「渓斎池田英泉之墓」があります。英泉(1790-1848)は江戸星ヶ岡(現千代田区永田町)に生まれ、多くの美人画、絵本や木曽街道69次などの風景画を描いた、江戸時代後期の代表的な浮世絵師でした。(杉並区教育委員会掲示より)
「杉並の寺院」による福寿院の縁起
「続備考」は、当寺の起立不詳としながらも、天正19年(1591)に境内地を拝領したのを開創としている。一方「明細帳」は、明確に慶長19年(1614)を開創としており、何等かの根拠に基づいているようである。
寺伝によると、徳川幕府創業に功あった伊賀藩士の慰霊のため、同藩士三浦氏等12人が開基となって開創したとされている。(「杉並の寺院」より)
福寿院所蔵の文化財
- 池田英泉之墓(嘉永元年1848年没)(東京都指定文化財)
福寿院の周辺図