万寿山松応寺|明暦2年浅草八軒寺町に開創、大正7年当地へ移転
松応寺の概要
曹洞宗寺院の松応寺は、万寿山と号し、明暦2年(1656)浅草八軒寺町(現台東区寿2丁目)に開創、開山は大松寺5世悦州舜喜大和尚、開基雪岩長卯大和尚です。大正7年6月当地へ移転しました。
山号 | 万寿山 |
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院号 | - |
寺号 | 松応寺 |
住所 | 杉並区高円寺南2-30-1 |
本尊 | 木造聖観音菩薩立像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
松応寺の縁起
松応寺は、明暦2年(1656)浅草八軒寺町(現台東区寿2丁目)に開創、開山は大松寺5世悦州舜喜大和尚、開基雪岩長卯大和尚です。大正7年6月当地へ移転しました。
杉並区教育委員会掲示による松応寺の縁起
当寺は、万寿山と号する曹洞宗の寺で、現在の本尊は聖観音坐像です。(戦火で本尊釈迦牟尼仏を消失したため)
寺伝によると明暦2年(1656)浅草八軒寺町(現台東区寿2丁目)に開創されました。
開山は大松寺(現北区西ヶ丘1丁目)5世の悦州舜喜大和尚で、開基は雪岩長卯大和尚です。
山門に掲げる万寿山の山号は江戸時代の高名な書家高玄融の筆になるものです。
江戸時代の当寺は、与力・同心など武家寺として栄えていましたが、墓地が狭小なことから大正7年6月に寺院の維持発展のため、現在地に移転して来ました。
当寺の歴史については、昭和20年の戦火で全焼し、本尊はじめ、寺宝・寺録などの全てを消失したため、詳細は、明らかではありません。
現在の本尊は、禅宗様式の濃い仏像で、藤原時代の様式を模したと思われるふっくらした円満なお顔に特徴があります。
なお、当寺には「農政本論」「経済要録」「開国要論」等の著者で江戸時代の農政学者佐藤信淵(1850年歿)の墓があります。(杉並区教育委員会掲示より)
御府内寺社備考による松応寺の縁起
浅草田原町大松寺末 浅草八軒寺町、万寿山松応寺、境内金龍寺拝領地之内271坪借地。
起立年暦相知不申候。
開山悦洲和尚、万冶3年3月10日寂。
本堂南向間口6間奥行7間。本尊華厳釈迦如来、高田作。脇士文殊菩薩、普賢菩薩。
鎮守、弁天・稲荷合社。以上甲乙書上(御府内寺社備考より)
松応寺所蔵の文化財
- 農政学者佐藤信淵の墓(杉並区登録文化財)
松応寺の周辺図