柏邑山松林寺|文禄2年創建、全福寺を合寺
松林寺の概要
曹洞宗寺院の松林寺は、柏邑山と号します。松林寺は、正林寿慶庵主が開基、中野成願寺五世葉山宗朔が開山となり文禄2年(1593)正林寺と号して創建、正徳3年(1713)寺号を松林寺と改めたといいます。大正3年田端(現成田西三丁目)にあった同宗全福寺を合寺しています。
山号 | 柏邑山 |
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院号 | - |
寺号 | 松林寺 |
住所 | 杉並区高井戸東3-34-2 |
本尊 | 千手観音像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
松林寺の縁起
松林寺は、正林寿慶庵主が開基、中野成願寺五世葉山宗朔(慶長14年寂)が開山となり文禄2年(1593)正林寺と号して創建、正徳3年(1713)寺号を松林寺と改めたといいます。大正3年田端(現成田西三丁目)にあった同宗全福寺を合寺しています。
新杉並区教育委員会掲示による松林寺の縁起
柏邑山松林寺は、曹洞宗の寺で、千手観音像を本尊とし、閻魔王像も安置されています。
文禄二年(一五九三)、中野成願寺五世葉山宗朔によって開創され、開基正林寿慶庵主の名に因んで「正林寺」と称していました。しかし、正徳三年(一七一三)、四世竜光の代に寺名を「松林寺」と改めています。その頃は、当寺の周辺に松がとくに多かったからだといわれます。また開創時の当寺は、小字堂の上・堂の下・寺前と称された辺り(現堂ノ下橋北側)にありましたが、程なく現在地(旧小字正用)に移ったと伝えられています。
文化財としては、室町中期の板碑をはじめ江戸初・中期の庚申塔・地蔵石像・観音石像など多くが保存されています。
なお、当寺は大正三年田端(現成田西三丁目)にあった同宗の全福寺を合併しています。(杉並区教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による松林寺の縁起
(上高井戸宿)松林寺
除地。二段二畝二十九歩、小名正用、禅宗曹洞派、當郡本郷村成願寺末、柏邑山と称す、客殿はいまだ再建せず、本尊千手観音にて長二尺一寸許なるを置、開山葉山宗朔は慶長十四年六月十七日示寂せりと云。(新編武蔵風土記稿より)
合併した全福寺について
(田端村)全福寺
除地、三畝二十八歩、小名日性寺にあり、壽量山と號す、禅宗曹洞派(郡中野方領本郷村成願寺末)にて本寺前にをなじ、本堂四間に三間南向、本尊は正観音の坐像にて長一尺、厨子の内にあり、外に地蔵を安せり、長二尺七寸、開山を宗鐵と云、天正十七年十月十九日示寂す、古き寺なれども寺記なければ詳なることを傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
松林寺の周辺図