石雲山常仙寺|慶長7年麹町に創建、災難除けの寅薬師
常仙寺の概要
曹洞宗寺院の常仙寺は、石雲山と号します。常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年(1602)麹町に創建、明治41年当地へ移転したといいます。存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから本尊は災難除けの寅薬師と呼ばれています。
山号 | 石雲山 |
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院号 | - |
寺号 | 常仙寺 |
住所 | 杉並区和田1-68-11 |
本尊 | 本尊薬師如来坐像 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
常仙寺の縁起
常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年麹町に創建、明治41年当地へ移転したといいます。存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから本尊は災難除けの寅薬師と呼ばれています。
杉並区教育委員会掲示による常仙寺の縁起
石雲山常仙寺は、曹洞宗の寺で、開山は本寺である中野の竜昌寺四世祥岩存吉和尚です。
開創は慶長七年(一六〇二)といわれ、当所は江戸麹町に創建され、明治四十一年に至り寺域が狭くなったたえ、現在の地に移転しました。
本尊は行基作と伝えられる薬師如来坐像で、この薬師のいわれについて「江戸名所図会」に「此霊像、永禄の頃までは参州鳳来寺の山麓に立せ給ひしが、往古当寺開山祥岩存吉禅師、参州新城にありていまだ凡俗たりし頃、この霊像虎に化現し給ひ、狼の難を遁れしむ。依って其後法恩の為に出家し…当寺を闢いて此本尊を安置せしとなり」とあり、小像ながら秀麗な仏像です。こうした由来から、この薬師は俗に「寅薬師」と呼ばれ、災難除けの仏として江戸時代から広く人々に親しまれてきました。
なお、境内には延宝八年(一六八〇)銘の庚申塔のほか、如意輪観音・六地蔵などが祀られ、墓地には国文学者塩井雨江の墓碑があります。(杉並区教育委員会掲示より)
「杉並の寺院」による常仙寺の縁起
本尊薬師如来坐像は、往古鳳来寺山麓(愛知県)に祀られていたが、開山存吉が出家前に山麓で狼に襲われた折、虎に化身してこれを救い、その報恩のために存吉は出家して当寺を建立、本尊として安置したと伝える。このような由来から、本尊は災難除けの寅薬師と呼ばれ、江戸期には八・一二日の縁日の参詣者が多かったという。(「杉並の寺院」より)
常仙寺所蔵の文化財
- 本尊薬師如来坐像(寅薬師)
- 延宝八年銘石造青面金剛立像
常仙寺の周辺図