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船江神社|墨田区東駒形の神社

船江神社の概要

船江神社は、墨田区東駒形にある神社です。船江神社は、元慶元年(877-885)に創建したと伝えられ、江戸時代には朝日神明社と称し、北本所表町(現東駒形二丁目)にあり、船手奉行向井将監などの人々が船の安全を祈願したといいます。関東大震災の区画整理により当地へ遷座しました。

船江神社
船江神社の概要
社号 船江神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 -
住所 墨田区東駒形1-18-10
祭日 -
備考 -



船江神社の由緒

船江神社は、元慶元年(877-885)に創建したと伝えられ、江戸時代には朝日神明社と称し、北本所表町(現東駒形二丁目)にあり、船手奉行向井将監などの人々が船の安全を祈願したといいます。関東大震災の区画整理により当地へ遷座しました。

境内掲示による船江神社の由緒

船江神社の草創は、今より千百二十余年の昔、平安期陽成天皇の御宇元慶丁酉年(877年)御祭神は天照皇大神を奉祀す。
その御由緒を記すれば、往古本所の郷人あまた夢にみるよう伊勢大神宮、虚空を駆りて飛来り給ひ、虚空のあひだには又、大光明輝き光り、そのうちに気高く微妙なる御声ありて、
我此土安隠天人常充満という法華経寿量品の文を唱へ、われはこれ、伊勢の神明にておはします、と見て郷中の人互いに語り合わするにすこしも違わず、誠に奇特の御事也とて宮所をかまへ伊勢大神宮を勧請し奉りけり。神明なお佛法を尊み給ひ、本地和光の内證を示し給ふもの也。
それより北のかた星霜うつり年月かさぬと雖も、古にし昔のあと絶えず、利生あらたかに在わしますこと掌をさすが如くなり。
あまてらす神のめぐみのかはらねば ここも五十鈴の本所なりけり
船江神社は、初め朝日神明社と称し本所表町(現東駒形二丁目)に在り、本所大神宮とて、お伊勢参りが一生の念願たりしその昔、このお社に参拝することにて同じ神徳を授けられると、厚い信仰を受け、後天祖神社と称え幕府船手奉行向井将監などの人々が船の安全を祈願したといわれる。
明治維新後神名改め、里俗に船江神社と称するを以て今は之を神名とせり。
関東大震災後の帝都復興計画の一環としての区画整理に伴い、昔は御大祭は五月二十一日なり。
船江神社総代会 平成十二年庚辰年五月吉日建立(境内掲示より)

東京都神社名鑑による船江神社の由緒

元慶元年(八七七)本所の里人に夢のお告げがあり、伊勢大神宮を勧請して本所大神宮が起立された。本所達磨横町浜屋敷表町七一番地にあった。はじめ朝日神明社と称し、明治元年神仏分離に別当定朝山神宮寺から離れ、天祖社と改めた。俚俗に船江神社と称していたので、今はこれを称す。関東大震災により全焼、区劃整理により昭和五年現在地に移り、社殿を新築した。(東京都神社名鑑より)

「墨田区史」による船江神社の由緒

起立年代は、元慶元年(八七七)とも寿永年間(一一八二-八四)とも伝えられていて明確ではないが、天照大神を祭神として古くは朝日神明社と称していた。享保十八年(一七三三)加藤敬豊著「本所雨やどり」は、「神明の宮あり、星霜ふりたる社なり。(中略)八百とせに余る宮居なれハ、ふりたる木々は梢を並へ、老たる松は枝たれて、庭は槻の大木ありて宮居もおく深く、拝殿の粧ひも奇麗なりしに、度々の焼亡に槻の木も枯て朽木となり、今ハ宮居も茅葺になりて正面に遷し奉る。(中略)されとも植続し小松ハ年年風を高く聞き、作りかへたる玉垣ハ月を重ねて光を増、和光の影広くして参詣の人絶えす」と、当時の模様を記している。明治初年社格制定の際は、社名を天祖神社と改めたが、このころには既に船江神社の通称で呼ばれていたようである。「船江」の由来は伝えられていない。(「墨田区史」より)

御府内寺社備考による船江神社の由緒

御府内寺社備考では、北本所表町朝日神明社として、船江神社の概要を紹介しています。

北本所表町
朝日神明社 社地619坪内除地493坪
元慶元年(877-885)勧請之由申傳候へども縁起等無之巨神之或相知不申候
本社1間四面、神体幣束
庚申石碑、長6尺幅1尺。神木樫樹、圓二抱許
稲荷社、南町内持之稲荷ニ而和光稲荷ト唱申候町内より遷り座
別当神宮寺天台宗南所最勝寺門徒。開山開基此相知不申候
本堂、間口6間奥行4間。本尊薬師、長1尺2寸。聖観音、長1尺5寸。延命地蔵、長2尺。
当寺無住ニ付摂州平野融道大念仏寺兼帯妙法院正院家持安養院旅館光徳寺手狭ニ付南神宮寺僧源仕本堂庫裡御修理仕候(御府内寺社備考より)


船江神社の周辺図