墨田川七福神の案内

猫の足あとによる東京都寺社案内

墨田川七福神の案内

隅田川七福神概要

隅田川七福神めぐりガイド

墨田川七福神は、隅田川沿いに点在する5寺社と向島百花園とで構成される七福神めぐりです。

七墨田川七福神は、向島百花園を開いた佐原鞠鵜が文人と始めたといわれています。元旦から七草(七日)までの開帳している期間にお参りをし、各寺社で各々の神様のご分体(400円)を購入して、それと宝舟(1000円)に乗せて、七福神巡りの印として、家庭で祀るのが本来の方法だといいます。

「墨田区史」による隅田川七福神の由緒

隅田川七福神(向島七福神)
では、隅田川七福神は、どのようにして成立したのであろうか。文化元年(一八〇四)ころに新梅屋敷(向島百花園)が開かれてから、そこに集まる文人墨客は、園主の愛蔵する陶製の福禄寿にまず目を付けた。次いで、近くの隅田村多聞寺にはその寺号のとおり多聞天、すなわち毘沙門天があり、須崎村の長命寺には弁財天を祭っていることが分かってくると、墨東の名所としては、そろいの七福神がふさわしいということになった。せん索にせん索を重ねて、三囲神社には商売繁盛の恵比寿・大黒の二神、弘福寺には布袋和尚の木像があることを知り、残るのは寿老人だけとなった。一同思案の挙げ句思い付いたのが寺島村の鎮守の白髭明神で、この神こそ寿老人に打って付けとばかり、いかにも江戸の風流人らしい機知を働かせて、ここにめでたく七福神がそろったのである。ただし、白髭明神は神なので、隅田川七福神だけは寿老人といわず、寿老神と呼ぶのである。
(「墨田区史」より)

江戸東京札所事典(下町タイムズ)による隅田川七福神の由緒

文化年中(一八〇四〜)百花園主佐原菊塢が時の文人墨客と計り開設する。明治四十一年墨田川七福神再興する。(江戸東京札所事典より)

東京名所図会による隅田川七福神の由緒

七福神遊
向島に初春七福神遊といへるあり、中絶の姿なりしも知る人ありて、今年一月一日の如きは、甲子に相當りしを以て、相應に参詣する人ありたり、何れも縁起もの新年風豊饒に袖を吹かれて七福詣も最興あるべし。
三囲。蛭子、大黒
弘福寺。布袋
多聞寺。毘沙門
白髭。寿老人
花屋敷。福禄寿
長命寺。辨天
百花園主隅田川七幅遊の古板木を蔵す、七福神乗合の寳船を浮べて夕凪や波乗舟の音も静かなる、交番離れぬ都鳥の夢平穏に結べるの圖なり、摺物にして詣客の栞と為す。(東京名所図会より)

隅田川七福神一覧

隅田川七福神は、隅田川沿いにほぼ一直線に並んでいるので、浅草そばの三囲神社、或いは東武線鐘ヶ淵駅近くの多聞寺からスタートするのが一般的で、全行程3キロ程度(3時間)です。

隅田川七福神の各神

多聞寺の毘沙門天

本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられる。昔、村人達は本堂の前に住む狸の悪戯に悩んでいた。その村人を毘沙門天門下の禅尼師童子が狸を懲らしめ救ったという伝説が伝わる(隅田川七福神 参拝の案内より)

白髭神社の寿老神

祭神の猿田彦命は、道案内の守り神ということから、お客を案内する千客万来、商売繁盛の信仰が生まれる。
隅田川七福神の中でなかなか見つからなかった寿老人を、白い髭の長寿として白髭大明神にあてたことから「神」としている(隅田川七福神 参拝の案内より)

向島百花園の福禄寿尊

文化元年(1804)に開かれた百花園に集まる江戸の町民文化を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが始まった。
福禄寿尊像は、開祖佐原佐原鞠鵜が百花園の草花にちなみ、本草の神として愛蔵し信仰していたもの(隅田川七福神 参拝の案内より)

長命寺の弁財天

三大将軍家光が、鷹狩り途中の腹痛を、寺内の井戸水で薬を服用し快癒したことから、長命水の名をいただき、寺号も長命寺とした。
弁財天は河(水)の神ということから蛇がお使いとして選ばれ、巳の日に参拝する風習が生まれた(隅田川七福神 参拝の案内より)

弘福寺の布袋尊

黄檗宗で中国風の特色を持つ禅宗建物。布袋尊は七福神の中で唯一実在した中国の禅僧で弥勒の化身と言われる。
咳の爺婆尊像は、風外和尚が修行中、両親を偲び刻んだもので、風外の石像だから風にも強かろうと風邪除けの信仰を集めた(隅田川七福神 参拝の案内より)

大国神・恵比寿神の三囲神社

三井寺の僧源慶が弘法大師債権の由来を持つ荒れた祠を再建したとき、出土した神像の周りを、白狐が現れ三回巡り、消え去ったことから「みめぐり」の名が起こったとされる。大国神・恵比寿神は越後屋(現三越)にまつられていたもの(隅田川七福神 参拝の案内より)

墨田区登録無形民俗文化財に指定されている隅田川七福神

正月に福の神をめぐって幸せを願う習慣は、江戸時代に大いに流行った民間信仰のひとつです。文化年間、百花園主の佐原鞠塢が所有していた福禄寿像から始まった行程づくりはみごとに墨堤に点在する寺社を結び付け、江戸一番の七福神めぐりが出来上がりました。北から毘沙門天(多聞寺)、寿老神(白髭神社)(そのものがご神体なので寿老人ではなく、寿老神)、福禄寿(向島百花園)、弁財天(長命寺)、布袋尊(弘福寺)、恵比寿・大国神(三囲神社)の順に点在しています。
明治時代には、向島の人々が榎本武揚ら著名人を巻き込んで隅田川七福会を結成し、一巡り約4キロメートルの現在のコースを作り上げました。元旦から七草までの間、多聞寺から三囲神社まで(あるいは三囲神社から多聞寺まで)6ヶ所を順にまわるものです。
下町情緒を味わい、初春の隅田川を眺め、桜餅やだんごなどの名物をほおばるという七福神めぐりは、人々に憩いと安らぎを与える年頭最高のレクリエーションといえます。(墨田区教育委員会掲示より)



東京都の七福神巡り