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隅田稲荷神社|墨田区墨田の神社

隅田稲荷神社の概要

隅田稲荷神社は、墨田区墨田にある稲荷神社です。隅田稲荷神社は、善左衛門村を開拓した江川善左衛門が天文年間(1532-1553)に創建、善左衛門村の鎮守であったといいます。五代目江川善左衛門が、伊勢参詣の折り、種々の厄災を八人の僧によって救われたことにより当社を再建したことから、八僧稲荷とも称されていました。昭和7年には村社に列格していました。

隅田稲荷神社
隅田稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命
相殿 -
境内社 八幡神社、白髭神社、皇産霊神社
住所 墨田区墨田4-38-13
備考 旧善左衛門村の鎮守



隅田稲荷神社の由緒

隅田稲荷神社は、善左衛門村を開拓した江川善左衛門が天文年間(1532-1553)に創建、善左衛門村の鎮守であったといいます。五代目江川善左衛門が、伊勢参詣の折り、種々の厄災を八人の僧によって救われたことにより当社を再建したことから、八僧稲荷とも称されていました。昭和7年には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による隅田稲荷神社の由緒

稲荷社二宇。一は村の鎮守なり、須崎村弘福寺持。
(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による隅田稲荷神社の由緒

天文年間(一五三二-五五)伊豆の堀越公方政知が亡び、その家臣江川善左衛門雅門が郎党とともにこの隅田の地に逃がれて、この郷を開拓し、伏見稲荷大神を勧請して氏神として祀った。慶長年間(一五九六-一六一五)および文政十三年(一八三〇)に社殿を改築した。大正二年内務省起業荒川改修工事により、南葛飾郡善左衛門村三百六十六番地より現在地に移転する。昭和十八年社殿を改築し、現在の建物となる。(東京都神社名鑑より)

すみだの史跡文化財めぐりによる隅田稲荷神社の由緒

古くは「八僧稲荷」とも称し、旧善左衛門村(明治22年町村実施施行により消滅)の鎮守社でした。土地の開拓者、江川善左衛門の五代目が伊勢参詣の折、種々の厄災を八人の僧によって救われ、帰郷後、村人と合力して稲荷社を建てたのに始まると言われています。
往時は八人の縁起を万燈にしたてた輿はにぎわったといいますが、長い中断の後、近年復活され、毎年6月15日を例大祭としています。(すみだの史跡文化財めぐりより)

境内石碑による隅田稲荷神社の由緒

当社の創祀は葛西誌及新編武蔵風土記稿等ニ依リ天文年間ト相定セラル。天文年間伊豆ノ堀越公方政知亡ビ其ノ臣江川善左衛門郎党ト此ノ地ニ逃レ信仰屡キ京都伏見稲荷大明神ヲ勧請シテ氏神トシテ祀リ尓来土地開ケ南葛飾郡善左衛門村ノ起源ヲナス。
後慶長年間社殿ノ改築アリ又文政十三年庚寅正月社殿ヲ改築シ尚重ネテ関東総鎮守守護神田妻恋稲荷神社ノ神官斎部宿禰守儁ガ仲取持チテ京都伏見稲荷神社ノ神璽ヲ守護テ氏子ノ人等御田地ヲ奉納シ境内ヲ整備ス。此ノ神璽奉斎ノ路次美濃ノ国ニテ山賊ニ逢ヒシ時八僧現レ危難ヲ救ヒシ奇蹟アリシヨリ八僧稲荷神社ト称ヘタル事鳥居ノ額ニ依リテ知ルベシ。
此ノ御神徳ヲ称ヘ災難除ノ信仰深シ、又郷人ハ隅田稲荷神社と称ヘ奉ル。当社ハ実ニ南葛飾郡善左衛門村三百六十六番地ニ鎮座セラレ大正二年大務省起業荒川改修ニ事業地ニ該当シ現地ニ移転シタルモノニシテ松楠等周囲丈余ノ巨木アリシ事新編武蔵風土記稿ニ見ユ。
昭和七年十二月二十七日村社ニ昇格、昭和十年九月公爵一條実孝公、靖国神社宮司関矢司樹公ヨリ御神号ノ額ニ揮毫ヲ乞ヒ受ク。昭和十八年四月御社殿改築(以下省略)(境内石碑より)


隅田稲荷神社所蔵の文化財

  • 弘化4年銘水鉢
  • 津久井安太郎の歌碑
  • 板絵墨絵神竜図
  • 万燈神輿発祥の地

弘化4年銘水鉢

手水舎に安置された、かなり大型のものです。銘に「奉献 氏子中」「弘化4未年(1847)9月吉日」「弘福27代 尭隣 納」とあり、弘福寺開山鉄牛和尚ゆかりの稲荷社であることをうかがわせています。
津久井安太郎の歌碑
村社昇格を記念しての社司津久井安太郎の和歌碑で、「生みの子の代々つきつきにみやしろの まつりの手振り忘るなよゆめ」として、昭和7年の建碑です。(すみだの史跡文化財めぐりより)

津久井安太郎の歌碑

村社昇格を記念しての社司津久井安太郎の和歌碑で、「生みの子の代々つきつきにみやしろの まつりの手振り忘るなよゆめ」として、昭和7年の建碑です。(すみだの史跡文化財めぐりより)

隅田稲荷神社の周辺図


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