八広の道標|将軍吉宗の木下川薬師参詣に際して建立
八広の道標の概要
八広の道標は、享保年間(1716-1735)に将軍吉宗の薬師(木下川薬師浄光寺)参詣に当って、大畑村の人々に建てさせたものと伝えられています。正面に当地の地名(大畠村)、右面(西方向)江戸みち、左面(東方向)薬師道と刻されています。
名所旧跡名 | 八広の道標 |
---|---|
住所 | 墨田区八広4-12-3 |
電話番号 | - |
みどころ | - |
備考 | - |
八広の道標の由緒
八広の道標は、享保年間(1716-1735)に将軍吉宗の薬師(木下川薬師浄光寺)参詣に当って、大畑村の人々に建てさせたものと伝えられています。正面に当地の地名(大畠村)、右面(西方向)江戸みち、左面(東方向)薬師道と刻されています。
木下川薬師への道標で、高さ1m余のものです。墨120号線道路の植込の中にあるものですから、全体像は容易にはわかりません。
(右面)左ゑとみち
(正面)右や久しみち
(左面)大畠村講中
言い伝えでは、享保年間(1716-1735)に将軍吉宗の薬師参詣に当って、大畑村の人々に建てさせたものとされています。また、この道標もまた、しかるべき位置にあったものが移され、現在地に起立するものです。
木下川薬師浄光寺は、荒川開削のため、現在は葛飾区四つ木1丁目5番に移転しております、正式には、青竜山薬王院浄光寺という天台宗の寺院です。寺伝によれば、嘉祥2年(849)僧広智の草庵に始まり、貞観2年(860)その弟子慶寛によって一寺となし、浄光寺と名づけたとされています。(すみだの史跡文化財めぐりより)
八広の道標の周辺図