甚内神社|高坂甚内を祀る社
甚内神社の概要
甚内神社は、台東区浅草橋にある甚内神社です。甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を乱したものの瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた高坂甚内が、当時(江戸時代初期)鳥越あった処刑場で処刑される際に「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、甚内霊神として尊崇を集め、鳥越処刑場に向かう鳥越川の橋のたもとに創建したといいます。
社号 | 甚内神社 |
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祭神 | 甚内霊神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 台東区浅草橋3-11-5 |
備考 | - |
甚内神社の由緒
甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を乱したものの瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた高坂甚内が、当時(江戸時代初期)鳥越あった処刑場で処刑される際に「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、甚内霊神として尊崇を集め、鳥越処刑場に向かう鳥越川の橋のたもとに創建したといいます。
台東区教育委員会掲示による甚内神社の由緒
甚内神社
当社は「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。
伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。武田家再興をはかり、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。
鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。八月十二日の命日は、今も多くの人で賑わっている。
かつて鳥越川に架かる橋の一つ「甚内橋」の名も付近に甚内神社があったからだといわれる。鳥越川は、今は暗渠となり橋もなくなったが、その名は「甚内橋遺跡」(浅草橋三丁目十三番四号)の小碑に残されている。
関東大震災まで浅草消防署の付近にあったが焼失。その後移転。昭和五年、現在地に移った(台東区教育委員会掲示より)
甚内神社の周辺図