覚音寺|台東区元浅草にある真宗高田派寺院
覚音寺の概要
真宗高田派の覚音寺は、万治3年(1660)江戸の矢倉(現中央区東日本橋)に開創、のち当地へ移転したといいます。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | 覚音寺 |
住所 | 台東区元浅草3-17-14 |
宗派 | 真宗高田派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 屋外墓地販売中 |
覚音寺の縁起
覚音寺は、宝池院玄証法師が開基となり、万治3年(1660)江戸の矢倉(現中央区東日本橋)に開創、のち当地へ移転したといいます。
御府内寺社備考による覚音寺の縁起
覚音院 開基宝池院玄証法師。勢州白子産、俗性田中氏。宝永4年2月9日寂。
本尊阿弥陀立像。
什物、祖師親鸞聖人真影画像、歓喜心院宮真影、聖徳太子真影、七祖影像。(御府内寺社備考称念寺項より)
覚音寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来立像(台東区登載文化財)
木造阿弥陀如来立像
覚音寺は、真宗高田派の寺院です。万治3年(1660)江戸の矢倉(現中央区東日本橋)に開創。のちに大火にあって、現在地に移転しました(年代不明)。
本像は、当寺の本尊仏。伝来などは、明らかでありませんが、江戸時代後期には当寺に安置されたと思われます。
本像の像高は64センチ、ヒノキ材の一木造です。正面を向き、両足を揃えて直立し、両手は来迎印を結び、眼には玉眼といって水晶をはめこんでいます。ゆるやかな体の線、とくに腹部の表現に平安時代後期の作風を見ることができますが、玉眼の手法は鎌倉時代になって一般化したものですから、鎌倉時代初期の制作と思われます。 平安時代後期から鎌倉時代初期は、仏像彫刻にも大きな変化をもたらした時期です。その過渡期に制作された仏像として、本像によって平安彫刻が鎌倉彫刻へと移行していくさまを見ることができます。制作も優秀で、区内に現存する貴重な仏像のひとつです。
覚音寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考