正福院|台東区元浅草にある真言宗智山派寺院

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望月山正福院|御府内八十八ヶ所霊場

正福院の概要

真言宗智山派寺院の正福院は、望月山般若寺と号します。正福院は、源秀(寛永14年1637年寂)が開山、広寿院其融到行居士(俗姓望月貞久子孫今幾八郎)が開基となり、慶長16年(1611年)野寺町に起立、正保元年(1645年)当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場61番札所です。

正福院
正福院の概要
山号 望月山
院号 正福院
寺号 般若寺
住所 台東区元浅草4-7-21
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場61番札所



正福院の縁起

正福院は、源秀(寛永14年1637年寂)が開山、広寿院其融到行居士(俗姓望月貞久子孫今幾八郎)が開基となり、慶長16年(1611年)野寺町に起立、正保元年(1645年)当地へ移転したといいます。

御府内寺社備考による正福院の縁起

江戸大塚護持院末、浅草新寺町
望月山正福院、境内古跡拝領地七百五十坪門前町有之
慶長十六辛亥年起立与申伝候。尤寛永之末迠野寺町与申処二罷在候。其後正保元甲申年当所江拝領仕候。
開山源秀、寛永十四丁丑年正月廿四日遷化。
開基広寿院其融到行居士、元禄十三庚辰年四月廿日卒。俗姓望月貞久子孫今幾八郎与称シ、橘町三丁目名主役ヲ勤。
本堂、五間ニ三間
本尊金剛界大日如来。
弘法大師木座像。興教大師木座像。六地蔵木立像、長三尺小野篁作。不動尊木立像、長四寸五分生駒宝山作。両界受茶羅、興教大師筆二幅。
鎮守柳稲荷社
神体、長七寸五分弘法大師作。本地十一面観世音。
縁起左之通。
抑当院に鎮座まします稲荷大明神の因由を委しく尋るに、むかし江戸浜町橘丁の辺ニ望月貞久といへる長あり。ある夜の夢に稲荷大明神翁と現し告ていはく。我ハ京都稲荷山の神孫なり。奥州松島にゆけて今此地に来る。汝し日頃能稲荷を信するによって吾もまた加護すへし、と三度幣吊をふっていはく。是ハ弘法大師伽羅をもって彫刻し給ふ稲荷ならひに十一面観音と一ツの玉なり。是を一社とまつらハ、氏神となり永く応護をたれん、との給ふと、夢覚枕のもとを見れハ光明赫奕たる玉と尊像也。貞久信心肝に銘し歓喜尊悦して、告の如く両町の氏神と祭り奉りしより、今に至るまて神力いますかことくにて、其家富貴繁昌なる事幾としといふ事なく、稲荷ハ倉稲魂命保食神と金作神同体にして一切銀物金物の祖也。依て三条の古鍛冶宗近は吹草祭をいはひしなり。且能火をあたへ能火を鎮す故に火防の神に祭也。本地十一面観世音ハ土を司る万物出生の根元にして、五穀守護の守なり。故に稲を荷ふ翁の尊形也。茲に当院ハ昔野寺町に在し事年久し、其後此寺町に替地あり。又望月の孫夢の告ありて日。我に有縁の地あり。
浅草正福院の柳のもとに遷座すへし、と一首の神詠に、我頼む人の願をてらすとて、浮世に残す三つのともし火と詠し給へは夢覚急き当院の柳のもとに遷宮し奉りしハ、寛永元甲子年より今に至まて柳稲荷大明神の霊験あらた成事挙てかそふるにいとまあらす。今現にいますかことくの尊像なりよって来由のあらましを略してしるすのミ。
垂歓喜天、金仏立像。相殿、正一位柳稲荷大明神額字、寛能書
氏子町左之通。
橘町一丁目、二丁目、三丁目、元浜町
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)


正福院の周辺図