叡龍山浄林寺|宮津城主一色左京大夫義道の次男が開基
浄林寺の概要
真宗大谷派寺院の浄林寺は、叡龍山と号します。浄林寺は、一色了空(俗称丹後國宮津城主従五位上一色左京大夫義道の次男一色駿河守義資)が開基となり、天正11年(1583)三河国設楽郡に創建、その後神田にあった本願寺境内へ移転、明暦の大火後に本願寺と共に浅草へ移転、文化7年(1810)浅草本願寺境内を離れたといいます。
山号 | 叡龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 浄林寺 |
住所 | 台東区東上野6-17-15 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄林寺の縁起
浄林寺は、一色了空(俗称丹後國宮津城主従五位上一色左京大夫義道の次男一色駿河守義資)が開基となり、天正11年(1583)三河国設楽郡に創建、その後神田にあった本願寺境内へ移転、明暦の大火後に本願寺と共に浅草へ移転、文化7年(1810)浅草本願寺境内を離れたといいます。
「浄土真宗東派明細簿」による浄林寺の縁起
武蔵國豊島郡東京浅草北清島町八十四番地
真宗 浄林寺
開基一色了空俗称丹後國宮津城主従五位上一色左京大夫義道次男一色駿河守義資ニテ本山十一世法主歸依法弟天正十一癸未五月廿二日三河國設楽郡(所在不詳)一宇建立其後武蔵國豊島郡江戸庄神田東本願寺境内江移轉 寛永九年壬申九月五日寺格飛擔出仕免許 明暦三丁酉正月十八日火災ニ罹リ焼失ス同年四月(方今)浅草松清寺四番地東本願寺境内ニ移轉 文化三丙寅三月四日再度火災ニ罹リ焼失す當寺第十世一色宗岳住職中本山第二十世法主ノ命ニ依テ文化七庚午十一月現今ノ地江更に移轉依之賞トシテ讃文附六字名号ヲ賜フ(「浄土真宗東派明細簿」より)
浄林寺の周辺図
参考資料
- 「浄土真宗東派明細簿」