世雄山聞成寺|佐竹太郎宣義が創建
聞成寺の概要
真宗大谷派寺院の聞成寺は、世雄山威王院と号します。聞成寺は、権大僧都法印能化坊慧秀(佐竹太郎宣義)が元和元年(1615)神田に天台宗寺院として創建、翌年に大谷十三世光従法主が江戸に下向の際に拝謁し、浄土真宗寺院に改めたといいます。
山号 | 世雄山 |
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院号 | 威王院 |
寺号 | 聞成寺 |
住所 | 台東区東上野6-15-10 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
聞成寺の縁起
聞成寺は、権大僧都法印能化坊慧秀(佐竹太郎宣義)が元和元年(1615)神田に天台宗寺院として創建、翌年に大谷十三世光従法主が江戸に下向の際に拝謁し、浄土真宗寺院に改めたといいます。
「浄土真宗東派明細簿」による聞成寺の縁起
武蔵國豊島郡東京浅草北清島町八十九番地
東派本願寺末 真宗 聞成寺
開基権大僧都法印能化坊慧秀(寛永廿一年甲申年八月廿九日行年九十九歳於テ當寺ニ寂)俗姓ハ常陸國久慈郡佐竹ノ庄東シ金砂山釋迦牟尼城主従五位下佐竹常陸介源義兼長男ニシテ号ス佐竹太郎宣義ト行年廿八歳感世ノ無常登リ都ニ洛北到リ大原ニ天台宗於テ圓融院宮ニ始テ謁シ蕐臺院慧量大僧都ニ剃髪ス約シ師弟ヲ改メテ名ク慧秀其後元和元乙卯年七月武州豊嶋郡江戸庄神田阿環箇池(註:お玉ヶ池)妙美小路ニ創立ス同二丙辰年九月大谷十三世光従法主東都エ初テ参向ノ時住職慧秀ノ依テ請待ニ當寺エ入輿有リ之此時翻シ台宗ヲ轉ス浄土真宗ニ同八壬戌年二月光従法主依テ命ニ移ル花笠別院(武州豊島郡湯嶋南ヶ岡ノ梺ト花笠村ニ在リ或ハ光瑞寺別院ト称ル也)境内ニ明暦三丁酉年正月十八日懸テ振袖ノ大火ニ別院同時ニ及ヒ焼失ニ同年四月移轉ス廣澤新田ニ(今マ浅草松清町四番地別院中門ノ外西南ノ角従前ニテ新寺町ト称ス新寺町ト曰ハ東ハ田原町一丁目ヲ限リ西ハ上野山下ヲ限ルノ名目也)文化三丙寅年三月四日別院同時ニ為シ焼失同七庚午年住地月移轉ス今ノ地ニ(初メ板倉内膳正邸地之内)猶ヲ寶暦七丁丑年三月八日當寺九世慧寂法橋ノ従リ代寺格内陣列座地(「浄土真宗東派明細簿」より)
聞成寺の周辺図