黄雲山龍谷寺|豊川稲荷霊場
龍谷寺(りゅうこくじ)の概要
曹洞宗寺院の龍谷寺は、黄雲山と号します。龍谷寺は、野村彦太夫為垂が開基、南領賢寿和尚が開山となり、松洞山龍谷寺と号して元和2年(1616)湯島天神下に創建、明暦元年(1655)当地へ移転、黄雲山龍谷寺と改めたといいます。
山号 | 黄雲山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 龍谷寺 |
住所 | 台東区東上野5-5-21 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍谷寺の縁起
龍谷寺は、野村彦太夫為垂が開基、南領賢寿和尚が開山となり、松洞山龍谷寺と号して元和2年(1616)湯島天神下に創建、明暦元年(1655)当地へ移転、黄雲山龍谷寺と改めたといいます。
「下谷區史」による龍谷寺の縁起
龍谷寺(北稲荷町二二番地)
下總東昌寺末、黄雲山と號す。本尊釋迦如来。(大正十二年九月焼失)元和二年湯島大根畑に起立、明暦元年現地に移る。開基は麾下の士野村彦太夫爲重、(萬治二年九月廿一日歿)開基は南嶺賢壽(寛永八年五月十一日寂)である。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による龍谷寺の縁起
下総国葛飾郡関宿山王山東昌寺末、下谷不唱小名
黄雲山龍谷寺、境内拝領地二千七百二十坪
起立元和二丙辰年於神田湯嶋地処拝領仕候処、明暦元乙未年当地江替地拝領仕候。
開山南領賢寿和尚、寛永八辛未年五月十一日寂。
開基渓岑梅雪居士、万治二戊巳年九月廿一日卒。但俗名野村彦太夫為垂、今其子孫小石川切支丹坂上二罷在候。
中興開山当寺三世浮漚大寿和尚、貞享元甲子年二月三日卒。
本堂
本尊釈迦如来木坐像
文殊、普賢、地蔵尊
龍谷殿之額字
大鐘
右享保十九甲寅年当寺九世雷門和尚建立之。禅堂廊下之角江釣り置候処、明和九辰年二月類焼仕、其後庫裡軒下江釣り置候処、文化三寅年又候類焼仕。当時は其侭二差置申候。
銘文左之通。(銘文省略)
鎮守社三尺五寸四方
白山権現、稲荷大明神
以上丙戊書上
秋葉社、当寺六世大震和尚の時勧請(江戸志)
湯嶋にありし頃ハ松洞山と号し、当所に移りてより今の山号となれり。湯嶋の旧地ハ湯嶋天神下の辺といへり。(捜索)(御府内寺社備考より)
龍谷寺の周辺図
参考資料
- 「下谷區史」
- 御府内寺社備考