福成寺|台東区池之端にある真宗大谷派寺院
福成寺の概要
真宗大谷派寺院の福成寺は、池見山と号します。福成寺は、了意(俗姓西尾権守)が本山十二世教如に帰依、江戸神田に慶長年間(1596-1615)起立、寛永2年(1625)当地へ移転したといいます。
山号 | 池見山 |
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院号 | - |
寺号 | 福成寺 |
住所 | 台東区池之端1-2-2 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福成寺の縁起
福成寺は、了意(俗姓西尾権守)が本山十二世教如に帰依、江戸神田に慶長年間(1596-1615)起立、寛永2年(1625)当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による福成寺の縁起
福成寺(池之端仲町一番地)
京都大谷派本願寺末、池見山と號す。本尊阿彌陀如来。當寺の開山了意は三河國加茂郡上伊保の産で俗称は西尾権之守(頭)政光といふ武士であつたが、本山十二世教如に歸依して弟子となつた(明細帳による)ともいひ、十三代宣如關東經過の砌弟子となつた(文政寺社書上)とも傳へる。新編江戸志には了意を攝津野山の産とし、大坂本願寺亂の時、教如上人に味方して一族多く討死し、了意は出家したと記してゐる。先づ文政の書上を信ずべきであらうか。了意は慶長年中(明細帳には五年となす)江戸に下り、神田に一宇を創立した。開基は新編江戸志によれば杉浦出雲守である。現地に移轉したのは寛永二年二世了圓の時である。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による福成寺の縁起
東本願寺末 池之端仲町
福成寺 境内古跡拝領地112余坪持漆地45坪余合157坪。
慶長年中武州豊島郡江戸神田ニ住居相定申候。然ル処二代目了円之代ニ寛永2年下谷仲町ヘ転地起立仕候。
開山了意。三州加茂郡西尾権守と申武門ニ而御座候。然所本山13代目宣如上人関東御経過廻之砌帰依仕、御弟子ニ相成、法名を了意と賜る。承応元年3月26日卒去。
中興了円法師。(御府内寺社備考より)
福成寺の周辺図