浄松山休昌院|台東区池之端にある臨済宗妙心寺派寺院
休昌院の概要
臨済宗妙心寺派寺院の休昌院は、浄松山と号します。休昌院は、久志本左京亮常倫が開基となり、明暦元年(1655)本郷丸山に創建、檀越久志本左京亮より寺地の寄進を受けて寛文7年(1667)当地へ移転したといいます。
山号 | 浄松山 |
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院号 | 休昌院 |
寺号 | - |
住所 | 台東区池之端2-5-38 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
休昌院の縁起
休昌院は、久志本左京亮常倫が開基となり、明暦元年(1655)本郷丸山に創建、檀越久志本左京亮より寺地の寄進を受けて寛文7年(1667)当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による休昌院の縁起
休昌院(池之端七軒町六二番地)
京都妙心寺末、浄松山と號す。本尊釋迦如来。明暦元年麾下の士久志本左京亮常倫開基し、僧喝源を請じて開山と爲した。(寛政重修諸家譜常倫の條にはこの事に關する記載がないが、當時久志本左京亮といへば常倫より他にはない)(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による休昌院の縁起
京都妙心寺末 下谷池之端七軒町
浄松山休昌院 境内古跡寄進地南北表間口11間東西奥行19間此坪209坪
起立之儀は、明暦元年本郷丸山ニ於て借地仕建立。其後寛文7年7月25日此地ニ引移ル。是は御鷹師野辺七郎左衛門殿、新見備中守殿ト替屋敷之足地ニ候所、檀越久志本左京亮殿譲被請拙寺ヘ寄進。則只今之地所ヘ引移候。其後元禄5年5月9日諸宗触頭并新地之寺院一列寺社御奉行本多紀伊守様宅ヘ被召出、松浦壱岐守様、戸田能登守様御列席ニ而被仰渡候は、只今厳有院様十三回忌ニ付、是迠新地之寺院一列古跡ニ被成下候旨被、仰出候間、難有可奉存之旨被仰渡候。(御府内寺社備考より)
休昌院の周辺図