妙極院|台東区池之端にある真言宗霊雲寺派寺院

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宝林山妙極院|霊雲寺塔頭

妙極院の概要

真言宗霊雲寺派の妙極院は、宝林山と号します。妙極院は、霊雲寺を開山した浄厳和尚が当地に元禄11年(1698)、没後の塔頭として創建したといいます。

妙極院
妙極院の概要
山号 宝林山
院号 妙極院
寺号 -
住所 台東区池之端2-5-30
宗派 真言宗霊雲寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



妙極院の縁起

妙極院は、霊雲寺を開山した浄厳和尚が当地に元禄11年(1698)、没後の塔頭として創建したといいます。

「下谷區史」による妙極院の縁起

妙極院(池之端七軒町七〇番地)
湯島靈雲寺末、本尊大日如来。開基は浄嚴律師、即ち關東眞言律宗總本寺たる湯島靈雲寺の開山であつて、梵學竝に浄業を以て聞え、将軍徳川綱吉はじめ上下の信仰が篤かつた。元禄十一年幕府より寺地を此處に給せられ、十一月、歿後の塔院として本寺を建立したのである。そしてその四年の後、十五年六月二十七日寂した。世壽六十四、僧臘二十七、弟子四百三十六人、著作二十九種八十五巻を數へた。律師は寛永十六年十一月河内に生れ、八歳にして高野山に登り、悉地院雲雪に就いて薙髪し、眞言學を習つたのである。俗姓上田氏、字は覺彦、雪農叉妙極と號した。妙極印といふ寺名はそれから取つたのである。境内には律師の墓(史蹟に假指定せらる)及び眞庭念流の達人樋口十郎左衛門定伊の墓がある。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による妙極院の縁起

湯島霊雲寺塔頭 下谷七軒町
宝林山妙極院、境内拝領地1300坪。
起立之儀は、霊雲寺開山浄厳和尚、元禄11年12月6日拝領仕候。霊雲寺墓地ニ御座候。
客殿、本尊大日如来木坐像丈1尺3寸古雲長作。右は月光院御持念仏、宝暦2年10月10月御逝去之砌、思召を以って霊雲寺ニ御寄附ニ御座候。依之葵御紋御戸帳有之候。(御府内寺社備考より)


妙極院所蔵の文化財

  • 浄厳律師墓(東京都指定文化財)
  • 樋口定伊墓(馬庭念流18代、幕末の剣豪)(東京都指定文化財)

浄厳律師墓

浄厳律師は、江戸時代の真言宗を代表する高僧の一人である。寛永16年(1639)、河内国錦部郡鬼住村に生まれる(現大阪府河内長野市)。俗称上田氏。慶安元年(1648)、高野山で悉地院雲雪を師として出家した。字は覚彦。諱は雲農、のち浄厳。妙極堂などの号がある。修行・学問に努め、「法華経秘略要鈔」「悉曇三密鈔」「諸真言要集」など多数の著作がある。特に悉曇学(梵字・梵語の音声や書法の学問)に大きな業績を残した。 寛文11年(1671)下山して、各地で教化に努めた。元禄4年(1691)、柳沢吉保の邸宅で五代将軍綱吉に謁見して、普門品(観音経)を講じた。綱吉は深く帰依し、浄厳を開基として、霊雲寺を創建した(文京区湯島2丁目)。同11年(1698)、幕府より霊雲寺墓所地として当地を拝領(1300坪)、妙極院が創建された。 同15年(1702)6月27日、64歳で没した。当地のほか、郷里の延命寺にも墓がある(大阪府河内長野市)。(台東区教育委員会掲示より)


妙極院の周辺図