潜龍山東淵寺|台東区池之端にある臨済宗妙心寺派寺院
東淵寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の東淵寺は、潜龍山と号します。東淵寺は、大河内氏松平伊勢守三綱が快源和尚禀副(諏訪勝之進三男:津済慈航禅師)に参禅、報恩のため快源和尚禀副を開山として寛永7年(1630)に創建したといいます。
山号 | 潜龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 東淵寺 |
住所 | 台東区池之端2-4-25 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東淵寺の縁起
東淵寺は、大河内氏松平伊勢守三綱が快源和尚禀副(諏訪勝之進三男:津済慈航禅師)に参禅、報恩のため快源和尚禀副を開山として寛永7年(1630)に創建したといいます。
「下谷區史」による東淵寺の縁起
東淵寺(池之端七軒町四〇番地)
京都妙心寺末、潜龍山と號す。本尊釋迦如来。麾下の士大河内伊勢守三綱、快源稟副禅師に参禅して開悟するところがあり、その報恩のため寛永七年に當寺を建立したのである。三綱は更に同禅師に請うて開山と爲した。禅師は文化六年九月二十四日、光格天皇より津済慈航禅師の徽號を賜うた。(「下谷區史」より)
御府内寺社備による考東淵寺の縁起
京都花園妙心寺末 下谷池之端
潜龍山東淵寺、境内古跡地529坪内門前町屋有。
当寺起立寛永7年。
開山快源和尚禀副、信州太湖城主諏訪侯之胤諏訪勝之進三男ト申事、然共其元不詳。寿世85、延宝元年9月28日示寂。去ル文化6年9月謚名降下(中略)
中興放禅宗巴和尚、遠州之産事蹟不相分。宝永元年2月4日示寂。
開基大河内氏松平伊勢守三綱、享保元年12月8日卒去。法号勇猛院殿高山鉄心大居士、遺骸本国野火止平林寺ニ葬ス。
中興開基同駿河守信望、宝暦7年9月3日卒去。法号霊光院殿猷峰玄徴大居士、同平林寺ニ葬。(御府内寺社備考より)
東淵寺の周辺図