法江山金蔵寺|台東区寿にある天台宗寺院
金蔵寺の概要
天台宗寺院の金蔵寺は、法江山教禅院と号します。金蔵寺は、祐雄が慶長16年(1611)八丁堀に創建、祐雄の弟子大阿闍梨法印権大僧都祐憲が開山したといいます。三田への移転を経て明暦の大火後、当地へ移転したといいます。
山号 | 法江山 |
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院号 | 教禅院 |
寺号 | 金蔵寺 |
住所 | 台東区寿1-17-2 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
金蔵寺の縁起
金蔵寺は、祐雄が慶長16年(1611)八丁堀に創建、祐雄の弟子大阿闍梨法印権大僧都祐憲が開山したといいます。三田への移転を経て明暦の大火後、当地へ移転したといいます。
御府内寺社備考による金蔵寺の縁起
東叡山末 浅草堀田原
法江山教禅院金蔵寺、境内拝領地八百七拾五坪永代御預地百四拾四坪八合
慶長十六辛亥年八月甘四日、於八町堀二寺地拝領仕、其後寛永十二乙亥年五月、八町堀より三田江替地拝領仕候得共、所悪敷御座候間浅草二而替地致、拝領度段天海大僧正江申上候得は、其段土井大炊頭殿・酒井讃岐守殿・松平伊豆守殿江被仰入候処、右御三人之御方より替地浅草ニ而可被下旨被仰下則浅草二而屋敷拝領仕候。其節御三人之御方より大僧正江金蔵寺替地屋鋪之儀可被仰付由ニ而前簾被遣候御状所持仕候。年数之儀は、慶長十六年より今年迠弐百拾五年罷成申候。
尤起立由緒之義は、祐雄と申候呉服橋之内ニ屋鋪御座候而罷在候。其後左内町江引移住候由申伝二候。其以後祐雄之弟子祐憲と申僧於八町堀諸寺院一同屋鋪拝領仕、金蔵寺を建立仕候。其後元和七年二山門正覚院僧正より補任致項戴候。只今は東叡山従御門主様補任頂戴仕候。以上。
大師様江之御返書之写(書面中略)
開山大阿闍梨法印権大僧都祐憲元和四戊午年十一月朔日寂。
本堂東向間口六間奥行四間半、内陣三間ニ弐間
本尊三尊弥陀如来木立像
地蔵尊立像、文殊菩薩、長ヶ壱尺弐寸立像運慶作。
弁天堂、土蔵作弐間半四方。拝殿、壱間ニ弐間。
弁財天三体・大黒天・昆沙門天・不動尊・二童子・歓喜天及び弘法大師作之弁才天・安阿弥作之愛染明王相殿。
以上乙酉書上
昔ハ築地に在しか、後此所に移と云。按に寛永九年の江戸図に築地に金蔵寺といへる寺見ゆ。此寺なるへし。是も明暦回禄をへて移されしなるへし(改撰江戸志)(御府内寺社備考より)
金蔵寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考