安楽寺|台東区根岸にある浄土宗寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

佛迎山安楽寺|根岸古寺めぐり3番

安楽寺の概要

浄土宗寺院の安楽寺は、佛迎山往生院と号します。正運社覚誉意的が寛永4年(1627)下谷坂本に創建、元禄6年(1693)当地下谷金杉へ移転したといいます。根岸古寺めぐり3番札所となっています。

安楽寺
安楽寺の概要
山号 佛迎山
院号 往生院
寺号 安楽寺
住所 台東区根岸4-1-3
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 根岸古寺めぐり3番札所



安楽寺の縁起

安楽寺は、正蓮社覚誉意的が寛永4年(1627)下谷坂本に創建、元禄6年(1693)当地下谷金杉へ移転したといいます。

「下谷區史」による安楽寺の縁起

安楽寺(中根岸町一一二番地)
京都一心院末、佛迎山往生院と號す。本尊阿彌陀如来。寛永四年正蓮社覺譽意的、今の坂本町一丁目の邊に創建し、四世迎蓮社直翁、元禄六年現地に中興した。而して十七世西譽の時、天保十三年正月二十九日、自火にて全焼し、同年九月再建した。寺内に観音堂(天明元年落成)地蔵堂があり、後者はみかへり地蔵と稱せられる。寺寶に縫涅槃像、圓光大師畫像がある。前者は章子内親王(母は美福門院)の親縫、後者は梶井門跡(御名未詳)の筆と傳へられる。(「下谷區史」より)

新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起

(金杉村)安楽寺
同宗(浄土宗)東山一心院末、佛迎山往生院と号す。本尊阿弥陀、元の本尊は僧祐松在住の頃故有て相州大磯大運寺に譲れりと云。当寺は寛永4年坂本村に於て正蓮社覚誉意的草創す。此僧は正保2年8月2日寂す。中興開山迎蓮社直翁の時、元禄6年当所に移り、同11年正月17日化す。客殿に無碣光の額を掛く。知恩院真誉性海澄観の筆也。
寺宝
聖観音像一体、境内別堂に安す。
円光大師木像一体、大師の自作也。
釈迦迦葉阿難像各体。
涅槃縫像一幅、女院の御手自縫はれしものなる由、年代を詳にせず。
円光大師曼荼羅六幅、大師一大のことを書けり。
水引一張、長持一棹。共に菊及葵御紋あり。
翠簾一連。
以上八品は知恩院尊光法親王東下向の時寄附ありし三十五品の内なり。余は回祿に烏有となれり。外に法衣袈裟袈笏などあり。是も法親王の寄附せられしとて今に存す。
鐘楼門、安永8年2月新鋳の鐘をかく。
観音堂。堂は天明元年の新造なり。本尊聖観音は3尺3寸の立像、恵心一刀三体の作にして秘仏なり。京下加茂の本地佛なりしが兵革の世、神佛の像民家に散りし時、民間に所持せしを後故ありて尊光親王感得せられ、当寺に寄附せられしと縁起に載たり。
地蔵堂、顕眄地蔵と称す。巴女の守本尊なりと云。みかへりの由緒は当寺中興單誉元禄9年に記せし略縁起中に載せたれど、定かならざれば今取らず。
稲荷熊野合社
境内の鎮守なり。寛延元年勧請す。(新編武蔵風土記稿より)


安楽寺所蔵の文化財

  • 開運子育地蔵尊

開運子育地蔵尊

慶長3年(1590)意的上人により建立された安楽時本堂に安置された「身かえり地蔵尊」は年ごとに庶民の信仰を弘く得てきた。「身かえり」とは「うしとをふりむく」との意ですべての人々を救うというい思いがこめられている。
遠く木曽義仲妾所持の守り本尊と言われていた。徳川時代末期にいたり一般に弘く地蔵尊の慈悲をわかつ為に現在の石の地蔵尊が境内に建立され開運子育として信仰されている。(境内掲示より)


安楽寺の周辺図