永称寺|台東区根岸にある浄土真宗本願寺派寺院

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長久山永称寺|台東区根岸にある浄土真宗本願寺派寺院

永称寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の永称寺は、長久山と号します。永称寺は、宗祖親鸞の直弟浄念(俗称和久勝之進、宝治2年1248年卒)が開基となり栃木県那須に創建、寛永年間(1624-1645)圓隆の代に当地へ移転したと伝えられます。

永称寺
永称寺の概要
山号 長久山
院号 -
寺号 永称寺
住所 台東区根岸3-12-44
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



永称寺の縁起

永称寺は、宗祖親鸞の直弟浄念(俗称和久勝之進、宝治2年1248年卒)が開基となり栃木県那須に創建、寛永年間(1624-1645)圓隆の代に当地へ移転したと伝えられます。

「下谷區史」による永称寺の縁起

永稱寺(中根岸町二二番地)
京都本願寺派本願寺末、長久山と號す。本尊阿彌陀如来。宗祖親鸞の直弟浄念(俗名和久勝之進)(寶治二年四月二十日寂)が寶治年中下野國那須郡武部村に創立したのが當寺の濫觴であると傳へられる。寛永年間十世圓隆の時、現地(舊下谷金杉村七五番地)に移つた。(「下谷區史」より)

新編武蔵風土記稿による永称寺の縁起

(金杉村)永称寺
浄土真宗西本願寺末、長久山と号す。本尊弥陀立像恵心の作と云。開基浄念は俗称和久勝之進と云。宝治2年4月卒す。
鐘楼。安永10年鋳造の鐘を掛。
経蔵。(新編武蔵風土記稿より)


永称寺所蔵の文化財

  • 聯(台東区有形文化財)
  • 歳寒三友図(台東区有形文化財)
  • 酒井抱一筆の俳書(台東区有形文化財)

歳寒三友図

三つで一組という三幅対という形式で梅の図を酒井抱一、竹の図を大窪詩仏、松の図を谷文晁が描いたものです。伝統的な画題ながら、それぞれの画家の特徴を見出せる佳品。書画会の席上において即興的に描かれた絵画だと思われます。文化・文政期(1804-1830)の文人の交流の証拠としても欠かせない作品です。(台東区教育委員会掲示より)

酒井抱一(1761-1828)は、姫路藩主酒井家の次男でしたが文学・芸術を好み、37才で出家して文人生活に入りました。光琳派の画家であり、俳人としても著名な人物です。文化6年(1809)から死去するまで下谷金杉大塚村(現根岸5丁目)に居住しました。この住居を「雨華庵」といいます。
雨華庵の近所の永称寺とは交際があり、この聯だけでなく、抱一筆の絵画・俳書が永称寺に現存しています。
聯とは書画を記して飾りとする細長い板で、柱や壁に2枚一対で掛けられます。本聯は2枚一対ではなく、一枚の板の表裏両面に漢詩を記した珍しいものです。時節に応じて片面ずつを利用したのでしょう。また、大きさも寺院に掲げてあるものと比較すると小さく、縦147.3cm、横21.0cm、厚さ3.0cmです。これらのことから考えると、この聯は抱一が雨華庵で使用していたものが、後に永称寺に伝わったものと考えられます。
聯には、表面に「不覚年命日夜去」(年命の日夜に去ることを覚えず)裏面に「自作自励求常住」(自作自励して常住を求めよ)と彫刻されています。人間は忙しく過ごすうちに、一生を終えてしまう。自ら努力して一つの地に居を求めよ、という意味です。雨華庵で充実した時間を過ごそうとした抱一の心構えをうかがうことができます。
抱一の筆による聯は他に類例がなく、なおかつ一枚の木材の表裏に彫刻し片面ずつを利用するという珍しい形態の貴重な書跡です。また、根岸に居住した抱一と永称寺とのつながりを示唆し、区の文化史を考える上でも欠かせない作品です。(台東区教育委員会)


永称寺の周辺図