東光山薬王寺|背面地蔵尊
薬王寺の概要
天台宗寺院の薬王寺は、東光山長命院と号します。薬王寺の創建年代は不詳ながら、源永(寛永3年1626年没)が中興したといいます。境内には日光街道に背を向けた背面地蔵尊が安置されています。
山号 | 東光山 |
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院号 | 長命院 |
寺号 | 薬王寺 |
住所 | 台東区根岸5-18-5 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | 墓地受付中 |
備考 | 根岸古寺めぐり1番札所 |
薬王寺の縁起
薬王寺の創建年代は不詳ながら、源永(寛永3年1626年没)が中興したといいます。境内には日光街道に背を向けた背面地蔵尊が安置されています。
「下谷區史」による薬王寺の縁起
薬王寺(三ノ輪町一二番地)
延暦寺派、東光山長命院と號す。本尊薬師如来。草創の年月は詳でないが、寛永三年僧源永の中興するところである。寺内に有名な背向地蔵尊がある。昔、奥州街道の傍に在つて街道に面してゐたが、後道筋が改り、後背が箕輪町通となつたため尊像の向を換へたが何時の間にかまた元のやうに街道に背を向けてゐられたといふのでかういふ俗稱が出来たと傳へられる。又寺内に徳治年間の古碑がある。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による薬王寺の縁起
東叡山寛永寺末 三ノ輪町
東光山長命院薬王寺、境内年貢地158坪除地823坪1合
起立年代相知不申候。当寺ハ台家之旧跡ニ而薬師之別当ニ御座候処本寺未定ニ付、延宝2年6月東叡山御直末ニ被仰付候。
客殿、本尊阿弥陀木座像。地蔵石立像。
薬師堂方2間、本尊秘仏、前立木木像。日光月光十二神将各木座像、閻魔木座像、聖徳太子木立像。
地蔵堂3間奥行3間半、地蔵尊石立像、左右之脇ニ正保4年亥11月7日権大僧都西性慎白と彫付有之。
右地蔵尊ハ背向之地蔵と相唱申候。昔地蔵尊前通ハ奥州街道之由。其後道筋相替り地蔵背通箕輪町ニ相成候ニ付背向地蔵と申候由御座候。以上丙戌書上。
開山天海僧正寛永20年10月2日寂(改撰江戸志)(御府内寺社備考より)
薬王寺にある背面地蔵尊の縁起
昔の昔この地蔵尊は上野から奥州へ向かう旧街道の傍らに在した。その後道筋が改り、後背の箕輪町通りが新しく拓け、旧道に面していた地蔵尊が新道からはうしろ向きに見えるので、恰も此の尊称が起こったのである。
記録には、
「ここに又不思議なるは御遷座の夜、主僧の夢に神人現わる。告げて曰く汝如何なれば我が面を東に向わしめたるや、そもこの寺の西辺は古陸奥への駅道なり、我はその道に臨み西に向い立ちたるなり、とありければ主僧驚きて遂に石工を招き寄せ事の仔細を語り聞かせしに、石工も夢に同じ告を蒙りたりとて、その夜のうちに御像を動かし面を西に向わし奉りぬ。
さればその後参詣せし人々はその有様を見て、さても不思議なるかな昨日は東に向ひたまいしに今日は西に向はせられたりとて、その事たちまち四方に伝わり、背面地蔵の御名遠近に聞え渡りぬ」頃明和元年(1764)
こうして薬王寺の背面地蔵尊は本尊薬師如来の冶眼信仰と共に毎月の縁日で賑い栄えたのであった。
道路仏でもあり、延命子育てとしての地蔵信仰は今でも多くの人々に語り継がれている。
薬王寺の周辺図