弁天院|備中松山城主の水谷伊勢守が勧請、下谷七福神の弁財天
弁天院の概要
曹洞宗寺院の弁天院は、朝日山と号します。弁弁天院は、寛永初年に備中松山城主の水谷伊勢守が上野不忍池に弁天堂を創建すると同時にその下屋敷であった水の谷の池にも弁財天祠を祀ったことを開基とし、第二次世界大戦後宗教法人として成立したといいます。下谷七福神の弁財天です。
山号 | 朝日山 |
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院号 | 弁天院 |
寺号 | - |
住所 | 台東区竜泉1-15-9 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 下谷七福神の弁財天 |
弁天院の縁起
弁天院は、寛永初年に備中松山城主の水谷伊勢守が上野不忍池に弁天堂を創建すると同時にその下屋敷であった水の谷の池にも弁財天祠を祀ったことを開基とし、第二次世界大戦後宗教法人として成立したといいます。
境内掲示による弁天院の縁起
当山の朝日弁財尊天は、古来芸道富有、結縁の御利益の尊像で、霊験あらたかで多くの信徒より崇敬されてきた。開基は備中松山城の水谷伊勢守で寛永初年不忍池に弁天堂を創建すると同時に、その下屋敷であった水の谷の池にも弁財天祠を祀り、これを姉弁天とし、西方の不忍を夕日、東方の水の谷を朝日弁財天と称した。堂宇は関東大震災並びに大東亜戦争に相次いで災禍を受けたが、終戦直後地主市島徳厚が土地解放を機とし、此境内を関係者に寄附したので、これから人々柏寄り直ちに宗教法人弁財天となし、本堂、庫裡等を建立し、更に昭和56年本堂の増改築を行い輪魚の美を加えた。(境内掲示より)
弁天院の周辺図