紫雲山英信寺|下谷七福神の三面大黒天
英信寺の概要
浄土宗寺院の英信寺は、紫雲山常倫院と号します。英信寺は、深川靈巌寺を開山した雄譽靈巌和尚が、紫雲庵と号して寛永8年(1631)創建、その後廃庵同様となっていたものを、松平壱岐守英信(明暦2年1656年没)の姉松平市正直次之室と、英信の叔父松平丹後守勝信が松平壱岐守英信の菩提を弔うため、一寺としたといいます。下谷七福神のひとつ三面大黒天が祀られています。
山号 | 紫雲山 |
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院号 | 常倫院 |
寺号 | 英信寺 |
住所 | 台東区下谷2-5-14 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 下谷七福神の三面大黒天 |
英信寺の縁起
英信寺は、深川靈巌寺を開山した雄譽靈巌和尚が、紫雲庵と号して寛永8年(1631)創建、その後廃庵同様となっていたものを、松平壱岐守英信(明暦2年1656年没)の姉松平市正直次之室と、英信の叔父松平丹後守勝信が松平壱岐守英信の菩提を弔うため、紫雲庵を再興する形で寺院を建立、紫雲庵と松平壱岐守英信より紫雲山常倫院英信寺と号したといいます。
「下谷區史」による英信寺の縁起
英信寺(入谷町九一番地)
深川靈巌寺末、紫雲山常倫院と號す。本尊阿彌陀如来。(大正十二年九月焼失)寛永八年起立。開山は雄譽靈巌即ち深川靈巌寺の開山である。はじめは庵室で紫雲庵といひ、明暦二年九月二十九日に卒した松平壱岐守英信を葬るに及んで一寺となし、その名をとつて現名に改めたのである。弘法大師眞作と稱する三面大黒天を安置する。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による英信寺の縁起
深川霊巌寺末 下谷坂本
紫雲山常倫院英信寺(境内千三百三十七坪、内五百四坪境内、百坪表門道、七百三十三坪墓所)
寛永八未年起立。但其時ハ紫雲庵と称し庵室ニ御座候。
開山雄誉霊巌和尚。
中興開基英信、俗名松平壱岐守英信、明暦二年四月廿九日卒。英信之姉松平市正直次之室及英信之叔父松平丹後守勝信、両人ニ而為英信菩提、紫雲庵を中興して一寺となし、壱岐守の実名を以て寺号といたし候。尤此時紫雲庵は退転同様ニ而有之候由申伝候。
本堂。本尊阿弥陀如来(立像丈三尺)脇立観音勢至(各立像)
以上丙戊書上
年貢古跡寺社帳、元文元辰七月改古跡年貢地境内五百四坪、外七百三拾三坪寄進地内、三百五拾坪ハ宝永二酉くがつ本多弾正少弼月番之節卵塔場ニ差免之、三百八拾三坪は元文元辰七月仕添地卵塔場、下谷坂本英信寺(御府内寺社帳)(御府内寺社備考より)
英信寺の周辺図