光雲山随徳寺|台東区下谷にある真宗大谷派寺院
随徳寺の概要
真宗大谷派寺院の随徳寺は、光雲山慈現院と号します。随徳寺は、僧永順(明暦2年1656年寂)が開基となり、寛永14年(1637)湯島に創建、元禄12年(1699)(或いは万治3年1660年)当地へ移転したといいます。
山号 | 光雲山 |
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院号 | 慈現院 |
寺号 | 随徳寺 |
住所 | 台東区下谷2-18-7 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
随徳寺の縁起
随徳寺は、僧永順(明暦2年1656年寂)が開基となり、寛永14年(1637)湯島に創建、元禄12年(1699)(或いは万治3年1660年)当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による随徳寺の縁起
随徳寺(入谷町一二六番地)
京都大谷派本願寺末、光雲山慈現院と號す。本尊阿彌陀佛。(大正十二年九月焼失)開基を總持坊海順といふ。東叡山天海大僧正の上足にて寛永十四年三月、湯島妻戀臺に當寺を建立し、同年十月、天海の命にて眞宗に轉じ、明暦四年正月の江戸大火に焼失し、寺地は公用地となり、麻布廣尾に於て替地を給せられたが、その遠隔の地なるを悲み、幕府に請うて東叡山領坂本村(即ち現地)に變更し、萬治三年十月に再建した。(「下谷區史」より)
新編武蔵風土記稿による随徳寺の縁起
(坂本村)随徳寺
浄土真宗東本願寺末、光雲山自然院と号す。本尊立像の弥陀、恵心の作也。又書像の三尊弥陀を安す。是も恵心の筆と云。開基永順、明暦2年4月22日示寂す。始は湯島に在、元禄12年此地に移る。(新編武蔵風土記稿より)
随徳寺の周辺図