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津梁院|台東区上野桜木にある天台宗寺院

津梁院の概要

天台宗寺院の津梁院は寛永寺山内の子院で、津梁院は、津軽土佐守信義が寛永13年(1636)に創建、厳有院の別当寺を勤めていたといいます。

津梁院
津梁院の概要
山号 -
院号 津梁院
寺号 -
住所 台東区上野桜木1-14-29
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 寛永寺三十六坊の一



津梁院の縁起

津梁院は、津軽土佐守信義が寛永13年(1636)に創建、厳有院の別当寺を勤めていたといいます。

東京名所図会による津梁院の縁起

津梁院
津軽土佐守信義之を建つ、厳有院別當。香華旦は津軽出羽守、津軽式部松主計なり。(東京名所図会より)

津梁院所蔵の文化財

  • 町田久成墓(台東区登載文化財)

町田久成墓

津梁院には、東京国立博物館の初代館長・町田久成(1838-97)の墓があります。津梁院は上野寛永寺山内子院。寛永13年(1636)に起立されました。
墓石は、円柱上に丸い笠が載る笠付塔婆形で、基壇に大きな自然石、周囲に小さな自然石を配す珍しい造りをしています。高さは約1.8m、正面に「一乗比丘久成墓」とあり、裏面の銘文により、墓碑が建てられたのは、没年(明治30年)の一周忌に当たる明治31年9月だったとわかります。
町田久成は、天保9年(1838)薩摩国日置郡石谷(現鹿児島県日置郡松元町)で生まれ、安政3年(1856)19歳で江戸に出て学び、慶応元年 (1865)には、18人の留学生とともに渡英しました。帰国後は明治政府のもとで働き、明治3年、物産局が設けられたばかりの大学南校に勤めました。このときの部下に田中芳男がおり、この2人は、その後十余年にわたり互いに影響を与え続け、博物局・内山下町(現日比谷公園)の博物館時代に、東京国立博物館・国立科学博物館・東京都恩賜上野動物園の3館の基礎を作ったことで、高く評価されます。特に久成は、古器物(文化財)の保護、複製(模写)を建議し、明治5年、蜷川式胤・内田正雄や画家高橋由一・写真家横山松三郎らとともに、正倉院をはじめとする社寺の宝物調査のため約4か月間出張しました(「壬申検査」)。私財を投じて、古書・古美術品を買い求め、少しでも散逸を止めようとした彼は、文化財調査や保護を提唱し、自ら実践した最初の人物といってよいでしょう。
久成の墓は、滋賀県大津市の園城寺(三井寺)山内の法明院にもあります。久成は遺言により、師の桜井敬徳が眠るこの地を墓所に選びました。晩年の町田久成は、明治15年10月、わずか7ヶ月で、博物館館長職を退き、同23年、園城寺末光浄院の住職になり、精力的に仏教文化の保護に努めます。しかし、29年病を得て上京、寛永寺の子院である明王院(現在は廃絶)で療養していましたが、翌年9月15日、病が悪化し、東京上野の地において、60年の生涯を終えました。


津梁院の周辺図


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