等光寺|土岐頼藝の遺子大圓が創建
等光寺の概要
真宗大谷派寺院の等光寺は、廣石山と号します。斎藤道三に殺された土岐頼藝の遺子大圓が、父祖を追福するため三河國宝飯郡廣石村に創建、慶長14年(1609)神田旅籠町へ移転、明暦の大火により浅草へ移転したといいます。
山号 | 廣石山 |
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院号 | - |
寺号 | 等光寺 |
住所 | 台東区西浅草1-6-1 |
宗派 | 真宗大谷派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
等光寺の縁起
等光寺は、斎藤道三に殺された土岐頼藝の遺子大圓が、父祖を追福するため三河國宝飯郡廣石村に創建、慶長14年(1609)神田旅籠町へ移転、明暦の大火により浅草へ移転したといいます。
「真宗東派明細簿」による等光寺の縁起
東派本願寺末武蔵國豊島郡浅草松清町六十四番地
真宗 等光寺
開基大圓俗称頼太郎直賢者清和天皇六代孫源経基之苗裔土岐頼藝遺腹之子也家臣斎藤之乱生母某有妊而逃匿於實家三河國宝飯郡廣石村内藤氏之家而生直賢矣直賢長而為父祖追孝以廣石村邸宅創立等等光寺焉德川氏開覇於江戸之際慶長十四年八月移轉湯嶋南岡下莽岡村(神田旅籠町三丁目)明暦四年四月又轉廣沢新田(浅艸松清町)焉(「真宗東派明細簿」より)
等光寺の周辺図