高光山大円寺|笠森阿仙之碑
大円寺の概要
日蓮宗寺院の大円寺は、高光山と号します。大円寺の創建年代等は不詳ながら、大円院日梗聖人が開基となり創建、上野清水門脇から当地へ移転したといいます。境内には笹川臨風の「お仙と春信の顕彰碑」、永井荷風の「笠森阿仙之碑」があります。
山号 | 高光山 |
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院号 | - |
寺号 | 大円寺 |
住所 | 台東区谷中3-1-2 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大円寺の縁起
大円寺の創建年代等は不詳ながら、大円院日梗聖人が開基となり創建、上野清水門脇から当地へ移転したといいます。
「下谷區史」による大円寺の縁起
大圓寺(谷中三崎町三〇番地)
本所法恩寺末、本尊塔中題目、釋迦多寶。高光山と號す。寺内に瘡守薬王菩薩を安置す。之は笠森稲荷社を享和年間に小石川白山御殿跡から移したもので、明治初年名を改めたのである。昭和七年五月自火で焼失した。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による大円寺の縁起
本所法恩寺末 谷中不唱小名
高光山大円寺 境内拝領地1674坪従表門中門迄4間ニ16間内東方幅1間16間東叡山年貢地
往古加賀原上野清水門脇、夫別所へ当所へ引地与申伝ニ而聢与之儀者、度々類焼ニ而相分不申候。
開基大円院日梗聖人、卒年月不知。二月朔日を命日と相定置申候。
本堂、釈迦、多宝、中央題目、此外諸尊安置。開運大黒天丈3寸、三身具足足之尊躯ニ而、伝教大師彫刻之よし。大黒天社出来迄此所ニ安置。
釈迦尊丈9寸、内陣ニ安置。高光山之額寺。鐘楼、享保11年ト有之。
稲荷社。元白山御殿大前孫兵衛殿屋敷ニ安置。去ル寛政9年5月19日、当寺ヘ遷座。俗に瘡守稲荷与奉称。
以上丙戊書上。(御府内寺社備考より)
大円寺にある笠森お仙と鈴木春信の碑
お仙は、笠森稲荷神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はその姿を、当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。お仙に関係の深い笠森稲荷を合祀している大円寺に、大正8年、二つの碑が建てられた。「笠森阿仙の碑」は小説家永井荷風の撰、「錦絵開祖鈴木晴信」碑は、文学博士笹川臨風が撰し、題字は、東京美術学校(現東京芸術大学日受ル学部)校長正木直彦の手になる。(台東区教育委員会)
大円寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」