長昌山大雄寺|旧伊豆玉沢妙法華寺末の江戸触頭、高橋泥舟の墓
大雄寺の概要
日蓮宗寺院の大雄寺は、長昌山と号します。大雄寺は、日達聖人(元和8年1622年寂)が開基となり、慶長9年(1604)神田土手下に創建、万冶元年(1658)当地へ移転、伊豆玉沢妙法華寺末の江戸触頭を勤めていたといいます。境内には高橋泥舟の墓があります。
山号 | 長昌山 |
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院号 | - |
寺号 | 大雄寺 |
住所 | 台東区谷中6-1-26 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 伊豆玉沢妙法華寺末の江戸触頭 |
※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈
大雄寺の縁起
大雄寺は、日達聖人(元和8年1622年寂)が開基となり、慶長9年(1604)神田土手下に創建、万冶元年(1658)当地へ移転、伊豆玉沢妙法華寺末の江戸触頭を勤めていたといいます。境内には高橋泥舟の墓があります。
「下谷區史」による大雄寺の縁起
大雄寺(谷中町一九番地)
伊豆妙法華寺末、本尊十界曼荼羅。長昌山と號す。慶長九年日達(元和八年寂)の神田土手下に創建するところで、萬治元年現地に移つた。傳教大師作と傳へる摩利支天像を安置する。江戸砂子に寺中久成院と見えてゐるが今は無い。寺内に高橋泥舟の墓がある。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による大雄寺の縁起
伊豆国玉沢妙法華寺末 谷中不唱小名
長昌山大雄寺、境内拝領地1050坪
慶長9年神田土手下ニ建立有之。其後万冶元年谷中ヘ移、又寛文11年とも名主之方控あり。
開基日達聖人、元和8年4月5日寂。祖師日蓮大菩薩木像、四大菩薩等諸尊安置。
太鞁2尺余。
半鐘1尺余、右は七世日巡代建立仕候。
鎮守万神堂、右万神堂、土蔵造ニ而御座候処、文化年中大破ニ付御願上取払置申候。未再建不仕候。以上丙戌書上。(御府内寺社備考より)
大雄寺所蔵の文化財
- 高橋泥舟墓
高橋泥舟墓
高橋泥舟は幕末期の幕臣、槍術家。名は政晃。通称謙三郎。のち精一。泥舟と号した。山岡鉄舟の義兄にあたる。天保6年(1835)2月17日、山岡正業の次男として生まれ高橋包承の養子となる。剣術の名人として世に称賛され、21歳で幕府講武所教授、25歳のとき同師範役となり、従五位下伊勢守に叙任された。
佐幕、倒幕で騒然としていた文久2年(1862)12月、幕府は江戸で浪士を徴集し、翌3年2月京都へ送った。泥舟は浪士取扱となったが、浪士が尊攘派志士と提携したため任を解かれた。同年12月師範役に復職し、慶応3年(1867)遊撃隊頭取となる。
翌4年1月「鳥羽伏見の戦」のあと、主戦論が多数を占めていた中で、泥舟は徳川家の恭順を説き、十五代将軍徳川慶喜が恭順の姿勢を示して寛永寺子院の大慈院に移り、ついで水戸に転居した際には、遊撃隊を率いて警固にあたった。廃藩置県後は、要職を退き、隠棲し書を楽しんだという。明治36年2月13日没。
勝海舟、山岡鉄舟とともに幕府の三舟といわれる。(台東区教育委員会掲示より)
大雄寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」