龍江山妙法寺|旧中山法華経寺末の触頭
妙法寺の概要
日蓮宗寺院の妙法寺は、龍江山と号します。妙法寺は、霊鷲院日恕が開山となり慶長13年(1608)神田に創建、谷中茶屋町への移転を経て当地へ移転したといいます。江戸時代には法華経寺末の日蓮宗寺院の触頭を勤めていたといいます。
山号 | 龍江山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙法寺 |
住所 | 台東区谷中4-4-30 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙法寺の縁起
妙法寺は、霊鷲院日恕が開山となり慶長13年(1608)神田に創建、谷中茶屋町への移転を経て当地へ移転したといいます。江戸時代には法華経寺末の日蓮宗寺院の触頭を勤めていたといいます。
「下谷區史」による妙法寺の縁起
妙法寺(谷中三崎町六三番地)
中山法華經寺末、本尊十界曼荼羅。龍江山と號す。慶長十三年、靈鷲院日如(寛永八年九月朔日寂)神田に開創す。開基は本阿彌三郎。承應元年谷中茶屋町に移り、元禄十六年十一月、火災に罹つて後、幕府用地となり現地に移つた。中山法華經寺末の觸頭で、十五石の朱印地を有し、住持は江戸城に登城の際は乗輿、年頭の禮は獨禮席、一束一本献上の格であつた。傳教大師作と傳へる鬼子母神像、日朗作祖師像を安置し、境内は拝領地千四百五十坪、外に預り地百二坪あり、寺中に經量院、榮樹坊、學經坊、正善坊、春陽坊の一院四坊があつたが今廢した。境内に七裏堂あり、七裏大善神を安置す。明治十七年勧請するところである。狂歌師菊薬亭長根の墓は當寺にある。(「下谷區史」より)
御府内寺社備考による妙法寺の縁起
下総国葛飾郡中山村法華経寺末 谷中三崎町
龍江山妙法寺、境内拝領地1450坪外領地従中門惣門迠横3間4尺長28間法華経寺触頭
寺建立慶長13年。往古神田ニ御座候、承応元年谷中茶屋町江替地被、仰付候。其後、元禄16年迠茶屋町ニ御座候処、同年11月29大火之節類焼仕候節ニ、彼地上野御用地ニ相成候節、三崎江替地候、仰付候。当寺七代目禅代、三崎江替地拝領被、仰付候。尤茶屋町ニ而拝領地は1925坪に御座候。
開山霊鷲院日恕、寛永8年9月朔日遷化。
中興開山玄理院日禅、享保5年6月21日遷化。
本尊釈迦仏、題目七字、多宝如来、四菩薩、鬼子母神木立像8寸5分伝教大師作、祖師日蓮大士日朗菩薩作丈3尺座像。
大鐘、元禄4年4月吉日(御府内寺社備考より)
妙法寺の周辺図
参考資料
- 御府内寺社備考
- 「下谷區史」