蓮華寺|台東区谷中にある日蓮宗寺院

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寂静山蓮華寺|自開眼開運清正公大神祇

蓮華寺の概要

日蓮宗寺院の蓮華寺は、寂静山と号します。蓮華寺は、中山法華経寺第19世寂静院日賢聖人の隠室として創始、第三世常在院日在聖人が寛永7年(1630)当地に創建したといいます。

蓮華寺
蓮華寺の概要
山号 寂静山
院号 -
寺号 蓮華寺
住所 台東区谷中4-3-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮華寺の縁起

蓮華寺は、中山法華経寺第19世寂静院日賢聖人の隠室として創始、第三世常在院日在聖人が寛永7年(1630)当地に創建したといいます。

境内掲示による蓮華寺の縁起

当山は、下総中山日蓮宗大本山法華経寺第19世寂静院日賢聖人の隠室を以って、凡そ370年前創立となし、当山第3世常在院日在聖人により寛永7年2月この地に、創建せられる。 当寺は、山号を寂静山と云い、寺号を蓮華寺と申し、古来より赤門寺として、また谷中六十三除・虫封の寺としても有名である。
御堂には、霊験あらたかなる清正公大神祇、毘沙門天王、鬼形鬼子母神の三神を安置し、参詣縁者の信仰の堂宇となっておる。
この赤門は、明暦、元禄、上野戦争などの災害を免れたもので建築様式は誠に貴重なものとされている。
現在のご本堂等は、江戸文政年頃大檀越勘定奉行細田丹波守の寄進せられた貴重なる建造物であり、老朽の美を表している。
また浮世絵の細田時富(栄之)、新内中興の祖富士松魯中の菩提寺である。
尚、今日では、境内庭園の四季折々の樹木草花が、爛漫と咲き誇り、参詣縁者の心身に潤いを与うる寺をして有名である。
昭和52年2月吉日 当山第42世日統敬白(境内掲示より)

「下谷區史」による蓮華寺の縁起

蓮華寺(谷中上三崎南町四六番地)
中山法華經寺末、本尊塔中題目、釋迦、多寶。寂靜山と號す。寛永七年二月寂致院日賢の草創する所である。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による蓮華寺の縁起

下総国正中山法華経寺末 谷中不唱小名
寂静山蓮華寺 境内東叡山年貢地335坪。
起立、寛永7年。
開山寂静院日賢、正保元年8月24日寂。
客殿間口6間半奥行5間半、本尊妙法蓮華経宝塔。(御府内寺社備考より)


蓮華寺所蔵の文化財

  • 自開眼開運清正公大神祇略縁起

自開眼開運清正公大神祇略縁起

六三除・虫封の守護神
肥後熊本同木同作 自開眼開運清正公大神祇略縁起
谷中蓮華寺
当山に安置し奉る清正公大神祇自開眼の尊像は、慶長十五年(一六一〇年戌春)清正公御齢寿五拾歳の御時、兼ねて御宿願につき、熊本在に矢部郡釈迦院嶽の鹿子林善蔵と申す者有り、是を召して御生像を作らしめ給う、熊本御城内御天守に安置の神祇是れ也、その砌加藤平左衛門公へ相願い右余木をもって講の御前において御尊像を彫刻し奉る、君自ら貴毫を染め給う御君名御判を像中へ御記し加藤左衛門へ御与え給う所の御像是れ也、故に自開眼の御尊存と申し奉る。
翌年慶長十六年六月二十四日己前平左衛門を召して曰く、貴殿と我と尾州出生よりして、当国に至りて暫時も離るる事なく、朝鮮高麗国までも同陣し、軍労を凌ぎ苦歩しぬ、然るに我命数旦夕にあり、故に此城を貴殿に付与す、なにとぞ守衛して虎藤丸を養育し相続なさしめよ、我十六歳の時、初陣の砌、母公聖林院殿より頂戴せし砌守り今年五拾壱歳迄片時も身を離さず朝鮮高麗迄も所持せし事貴殿能く知る所也、是を貴殿に与える間彫刻の像中へ納め置くべし、我戦功をなすと言えども身体に矢玉鎗劔をも請けず、目出たく帰陣致せし事、偏に此一巻の御守の御加護なりとて御手づから下し給う。斯かる六月二十四日安然として卒去なり。
其後加藤平営衛門本妙寺参詣いたし、山主高麗上人へ尊像を奉納し、この聖人は朝鮮征伐の砌、王子を生捕り、豊臣太閤殿下に願う奉り申し請い、出家として身延山日遠聖人の御付弟に遊ばされる。熊本本妙寺二祖日遷聖人これ也、すなわち平左衛門公より頂戴の御守りを聖人の拝覧に備え、聖人の仰せには不思議なるかなこの御守りは肥後公日朗聖人の御筆にて、宗祖より御相伝の御祈祷撰法華経也、公朝鮮高麗後も軍功をとげ給う事まったくこの御守り諸天善神の御加護に依る也、
清正公は尾州の産にして肥後の国宝と成給うかつ守護の直筆は肥後公日朗聖人なり旁もって故あるかな、これ偏に妙法不思議と言うべしと語り給う、則ち彼の一軸を像中へ納め、加藤左衛門御遺命に任せ、甲斐国身延山へ参詣し御山主日遣聖人へ尊顔を拝し、御遺命の趣を逐一に申し上げ奉る処、聖人お聞き有っておしむべし、宗門第一の大旦那世を辞し給うと嘆息暫有って去りながらこの御像並びに御躰中の撰法華経謹んで守護致すべし、末世において利益また無窮なりとの御意也。
茲に文政元寅年(一八一八年)夏の頃より加藤左衛門の子孫同名庄左衛門と申す者度々霊夢を蒙り同名新助と申す仁と其の外信心の輩両三人、公の尊像を供歩し奉り法華霊場を往詣し、初秋の頃当地へ着し、細川家へ入らせられ、それ以後庄左衛門新助帰国の砌、諸人結縁のために、当寺へ納め、安置し奉る者也。昭和五十年二月吉辰 寂靜山蓮華寺第四十二世日統謹写(境内掲示より)

蓮華寺の周辺図


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参考資料

  • 御府内寺社備考
  • 「下谷區史」