出雲神社|杵築大社(出雲大社)を勧請する社
出雲神社の概要
出雲神社は、あきる野市渕上にある神社です。出雲神社の創建年代等は不詳ながら、出雲大社を勧請した社で、江戸期には出雲明神社と称し淵上村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格していました。
社号 | 出雲神社 |
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祭神 | 大国主神 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、和豆良比宇斯社、八幡神社、道祖神、稲荷神社 |
住所 | あきる野市渕上310 |
祭日 | 10月10日 |
備考 | - |
出雲神社の由緒
出雲神社の創建年代等は不詳ながら、出雲大社を勧請した社で、江戸期には出雲明神社と称し淵上村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格していました。
東京都神社名鑑による出雲神社の由緒
創立年代不詳。もと出雲大明神と称し、維新のさい現社名に改称、島根県の杵築大社勧請。埼玉県入間郡宮寺の出雲祝神社と同じく、当国分社の一つである。四時の祭典その他に旧儀を遺していたが、臨済宗淵上山観音寺別当となり、神仏分離令により神官の奉仕となる。(東京都神社名鑑より)
「秋川市史」による出雲神社の由緒
出雲神社 渕上三一〇番地
創建年代は不詳である。御祭神は大国主神、昔は出雲大明神といい、明治維新の神仏分離の際、現社名に改めたという。明治六年(一八七三)十二月村社に列せられた。『新編武蔵風土記稿』によれば、出雲明神社とあって、除地が三段五畝一二歩あった。村の鎮守で観音寺の所管であったことがわかる。なお末社として、太神宮八幡社、春日社、熊野社、天王社、稲荷社、疱瘡神社の七社をあげている。社殿の前東に都指定(昭和四十九年〈一九七四〉八月一日)の天然記念物のツパキがある。この地方随一の巨木である。(「秋川市史」より)
新編武蔵風土記稿による出雲神社の由緒
(淵上村)
出雲明神社
除地、三段五畝十二歩、村の西にあり、小社、上屋二間半に三間、南向なり、前に鳥居をたつ、村の鎮守なり、例祭十月十日、村内觀音寺の持、
末社。太神宮、八幡社、春日社、熊野社、天王社、稲荷社。以上六社とも小祠なり、社地にいり左りの方にならびあり、
疱瘡神社。小祠、右の方にあり、(新編武蔵風土記稿より)
出雲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「秋川市史」
- 東京都神社名鑑