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出雲伊波比神社。毛呂山町岩井西の神社、旧郷社

出雲伊波比神社の概要

出雲伊波比神社は、毛呂山町岩井西にある神社です。出雲伊波比神社は、日本武尊が東夷征伐から帰途の景行天皇43年、比々羅木鉾を神体として、大名牟遅神(大国主命)を奉斎、成務天皇の代には、出雲臣武蔵国造兄多毛比命が祖神である天穂日命を合祀したといいます。天平勝宝7年(755)には官社に預かり、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている出雲伊波比神社に比定されます。大永7年(1527)火災により焼失、翌年毛呂参河守顕繁が大旦那となり再建、社殿はこの時のもので重要文化財に指定されています。慶安元年(1648)には、飛来明神社として社領10石の御朱印状を受領、明治4年に大字小谷田の阿夫利神社を八幡宮へ合祀、その後八幡宮を当社に合祀、明治6年には旧毛呂本郷の総鎮守であったことから郷社に列格しています。

出雲伊波比神社
出雲伊波比神社の概要
社号 出雲伊波比神社
祭神 大名牟遅神(大国主命)、天穂日命
相殿 -
境内社 八幡社
祭日 お九日(流鏑馬)11月3日
住所 毛呂山町岩井西5−17−1
備考 -



出雲伊波比神社の由緒

出雲伊波比神社は、日本武尊が東夷征伐から帰途の景行天皇43年、比々羅木鉾を神体として、大名牟遅神(大国主命)を奉斎、成務天皇の代には、出雲臣武蔵国造兄多毛比命が祖神である天穂日命を合祀したといいます。天平勝宝7年(755)には官社に預かり、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている出雲伊波比神社に比定されます。大永7年(1527)火災により焼失、翌年毛呂参河守顕繁が大旦那となり再建、社殿はこの時のもので重要文化財に指定されています。慶安元年(1648)には、飛来明神社として社領10石の御朱印状を受領、明治4年に大字小谷田の阿夫利神社を八幡宮へ合祀、その後八幡宮を当社に合祀、明治6年には旧毛呂本郷の総鎮守であったことから郷社に列格しています。

新編武蔵風土記稿による出雲伊波比神社の由緒

(前久保村)
八幡社
社地を臥龍山と號す、此所を遠望すれば、山の形状恰も臥龍の如き故なりと云、寛永年中造營のことにつき公へ上りし案に云、入西之郡毛呂郷石清水八幡之宮は、建久年中源賴朝社を修造あり、又大永八年九月毛呂三河守顯槃再建あり、其後天正二年三月北條氏政の再び修造あり、かかる古社の由来もあれば、猶又この頃願ひ上しと云々、これによりて時の御代官市川孫右衛門・彦坂平九郎へ命ぜられ、材木若干を賜はるの旨、大河内金兵衛・伊奈半十郎達せしと云傳ふ、本社七尺五寸四方、棟上に葵の御紋を彫る、例祭八月十五日、社傍の馬場に於て流鏑馬を興行す。
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飛来明神社
八幡宮と並びたてり、或は毛呂明神とも唱へり、社領十石の御朱印を賜はる、よりて考るにこの明神地主紙なるべし、寛永年中大河内金兵衛・伊奈半十郎・連署の材木御寄附の状にも、毛呂の神主望申に付而、八幡宮造營の爲と云々、この飛来と號することは社傳に、古季綱親王當國下向の時、氏の神其迹を慕ひて飛来りににより飛来と號すと、もとより取に足ざる説なり、季綱は則毛呂太郎季綱が事にて、親王と稱すべきいはれなし、天正年中小田原北條氏より寄附の證文、今社人のもとに傳ふ、其文に毛呂大明神とのす、これによればそのかみ、毛呂氏代々の氏神なることは論なし、又堂山村最勝寺所蔵大般若經の奥書に、延徳四年六月廿八日、於臥龍山蓬莱神書幟之とあり、飛来恐くは此蓬莱を誤り傳へしにや、是も棟に御紋を彫り、前に拝殿を設く、例祭年々九月廿舊日、流鏑馬を興行なせり。
石鳥居。神楽殿。祈祷所。
末社。太神宮、神明社、春日社、松尾社、熊野社、稲荷社二、雷電社。
季光社。毛呂太郎季綱の父、豊後守季光の靈を祀ると云。
観音堂。
神主紫藤蔵人。吉田家の配下なり、家系は傳へざれど、【小田原役帳】を閲るに紫藤新六が知行十八貫七百六十三文、入西郡大類卯検地六貫三百四十五文、同大類丗貫文、御蔵出以上五十五貫八文とあり、蔵人も此地の舊家なれば、新六が一族の末流などにや、【役帳】に云る大類も、此地より纔かへだたりし村名也。
社寶
大般若經殘缺
小田原北條氏文書一通(文面省略)(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による出雲伊波比神社の由緒

出雲伊波比神社<毛呂山町岩井二九一五(前久保字臥龍山)>
当社は、毛呂郷の中央にそびえる臥龍山上に鎮座する。臥龍山の名は、遠望すると竜が伏しているように見えることに由来するという。
社伝によれば、当社は、景行天皇の四三年に、日本武尊が東夷征伐からの帰途、この地に立ち寄った際、天皇から賜った比々羅木鉾を神体として、侍臣武日命を祭主に命じ、開拓祖神である大名牟遅神を奉斎したことに始まるとされる。この時の鉾は、今も本殿内に奉安されており、東北鎮護という意味から穂先は東北に向けられている。
成務天皇の代には、出雲臣武蔵国造兄多毛比命が殊に当社を崇敬し、祖神である天穂日命を合祀した。武蔵国造家は、出雲臣という姓からも察せられるように出雲と関係が深く、また、大名牟遅神は出雲大社に奉祀されている大国主神であることから、ここにおいて「出雲の神を斎う」という意味を持つ「出雲伊波比」の社号がついたものである。下って天平勝宝七年(七五五)には官社に預かり、『延喜式』において武蔵国入間郡五座の中に列している。
このように由緒ある社ではあったが、大永七年(一五二七)に火災のため烏有に帰してしまい、翌年には毛呂参河守顕繁を大旦那として再建された。現在の社殿はこの時のもので、室町時代の古建築であることから、昭和一二年に重要文化財に指定された。
中世における修復の記録としては、天文二年に檜皮葺きの屋根が大破したことから、これを瓦葺きに改め、更に天正二年には北条氏政が柿葺きに改めるとともに社領一〇石を寄進している。
江戸時代には将軍家から厚い崇敬を受け、寛永年間に神札を献上し、その際、白銀二枚を寄進されたことから、以後七カ年ごとに神札を幕府に献上することを例とした。寛永一〇年には将軍家光により社殿の修営が行われ、屋根を箱棟造りとし、棟上前面に葵絞が付けられた。更に慶安元年には将軍家から社領十石及び境内十町九反五歩の寄進を受けた。また、寛永年中に代官であった高室喜三郎から元禄一五年の井上甚右衛門・河野安兵衛の代に至るまで、歴代の代官より御供米が毎年1俵ずつ寄進された。その後も、この例に倣い、毛呂郷中地頭所から明治二年まで御供米が毎年献上された。
しかし、長い間には、出雲伊波比という社号は忘れられ、中・近世の諸記録には「茂呂(毛呂)明神」「飛来明神」「八幡宮」などと記され、氏子の間では「明神様」と呼ばれるようになっていった。
『風土記稿』には、八幡社と飛来明神が別々の社として記されており、飛来明神については毛呂季綱(氏子の項参照)の祖神とし、「八幡宮と並たてり、或は毛呂明神とも唱へり、社領十石の御朱印を賜はる、よりて考るにこの明神地主神なるべし」と述べている。
一方、八幡宮は、源頼義父子が奥州平定に際し、当社に武運を祈願しその験あって凱旋の途中、康平元年に再び当社に参詣し、冑を納め、誉田別命を合殿に奉祀したことに始まる社である。また、この時から祭礼に流鏑馬を奉納するようになった。ちなみに、当社の流鏑馬は、源頼義父子の徳を讃えて「平国流鏑馬」とよばれ、昭和三三年に県指定無形文化財となっている。その後、八幡宮については別に社殿が設けられ、建久三年には源頼朝が秩父重忠に命じて社殿を檜皮葺きにすると共に神領を寄附し、新たに息長足姫命を配祀した。永享年間には足利持氏が再建、大永七年消失の後、享禄元年に毛呂参河守顕繁が、寛永一〇年には徳川家光が再建し、これ以後、慶応三年に至るまで将軍家に山鳥の尾羽箭を毎年献上することを例とした。
このように、二社並立で明治を迎えたが、明治四年一一月に大字小谷田の阿夫利神社を八幡宮へ合祀し、その後、八幡宮を当社に合祀し、ここに現在のような姿になった。明治六年三月、旧毛呂本郷の総鎮守であったことから郷社となる。また、明治四〇年三月に長瀬字向井の村社白山神社を合祀し、同年四月には更に、毛呂本郷字宿の無格社稲荷神社、長瀬字田向の無格社愛宕神社、岩井字古宮の無格社古宮神社(『風土記稿』に「社伝詳ならず、思ふに前久保八幡社のありし所ならんと云」と、当八幡社の旧地と伝えている)、岩井字伊勢原の無格社神明社及び水尾神社、同字鈿女野の無格社鈿女神社、同字古宮の無格社山神社、小田谷字専福の無格社菅原神社、同字烏嶽無格社愛宕神社、同境内社八坂神社を合祀している。
祀職は紫藤家が室町時代から累代奉祀して今に至っている。なお、境内からは銅鏡や永享年間造営時の布目瓦も出土している。(「埼玉の神社」より)


出雲伊波比神社所蔵の文化財

  • 出雲伊波比神社のやぶさめ(埼玉県指定無形民俗文化財)
  • 出雲伊波比神社社殿(国指定重要文化財)

出雲伊波比神社のやぶさめ

出雲伊波比神社のやぶさめは、平安時代の後期、源頼義・義家親子が奥州平定のため当社にて戦勝祈願を行い、凱旋途中の康平六年(一〇六三)、再び立ち寄り、流鏑馬を奉納したのが起源と伝えられています。毎年十一月三日に行われる秋の流鏑馬は、毛呂山の晩秋の風物詩として親しまれています。
三つの当番区の三人の小中学生たちが乗り子となり、騎射を行う全国的にも珍しい民俗行事です。乗り子は約十日間、稽古、精進を重ね本番に臨みます。
流鏑馬は、午前の朝的、午後の夕的の二回行われ、特に夕的では、勇壮な騎射のほか、ムチ、ノロシ、扇子といった馬上芸が次々と披露され、凛々しい少年騎士たちの姿を見ることが出来ます。(毛呂山町教育委員会掲示より)

出雲伊波比神社の周辺図