灌頂院。慈覚大師創建、寺領50石の御朱印状
灌頂院の概要
天台宗寺院の灌頂院は、寳聚山東漸寺と号します。灌頂院は、天長年間(824-834)に慈覚大師が創建、鎌倉時代には源頼朝より寺領50石の寄附を受けていたといいます。天正19年(1591)には古尾谷八幡神社の別当寺として、50石の御朱印状を拝領、塔頭6ヶ寺、数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院です。
山号 | 寳聚山 |
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院号 | 灌頂院 |
寺号 | 東漸寺 |
住所 | 川越市古谷本郷1428 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
灌頂院の縁起
灌頂院は、天長年間(824-834)に慈覚大師が創建、鎌倉時代には源頼朝より寺領50石の寄附を受けていたといいます。天正19年(1591)には古尾谷八幡神社の別当寺として、50石の御朱印状を拝領、塔頭6ヶ寺、数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院です。
新編武蔵風土記稿による灌頂院の縁起
(古谷本郷)八幡社別當灌頂院
天台宗、上野國世良田長楽寺の末寳聚山東漸寺と號す、開山は聾義法印とのみ記しあり、境内の墓所に清海法印、延徳三年六月廿九日とえりたる碑あるは、世代の中なるべければ、當寺の開基の舊きこともしるべし、本尊彌陀を安す、往古鎌倉の時代は五十石の寄附のよし、天正十九年の御朱印を蔵せり、その文を左にのす(文省略)
塔頭
観音院。本尊と同じく寳聚山と號す、本尊千手観音恵心の作、立像三尺なるを安ず。
氷川天王相社。浅間社。堤上にあり、堤下にも下宮とて小社あり。
般若院。
寳塔院。
本尊馬頭観音境内に正和五年十一月見ゆる碑あり、又外に断碑もあり。
神宮寺。
本尊薬師、此堂の側にさしわたし十間許の塚あり、塚上に古松雑木生ひ茂れり、林塚と云、此邊に康正四年十一月と云石碑も見えたり。
大蔵寺。
當寺は八幡の供所を兼、本尊は彌陀を安ず、ここにも天文など彫たる断碑あり、外にも断碑數片見ゆ、文字は見えず、當寺を村内にては大同寺と唱へ、大同年中の草創なりといへど、もとより信ずべきことにはあらず。
本行院。
以上六院の内、大蔵寺・神宮寺を除の外、残る四寺皆灌頂院の役僧なるものきたりすめるなり。(新編武蔵風土記稿より)
灌頂院の周辺図