多聞寺|東久留米七福神の毘沙門天(多聞天)、武蔵野三十三観音霊場
多聞寺の概要
真言宗智山派寺院の多聞寺は、寶塔山吉祥院と号します。多聞寺の創建年代は不詳ながら、元仁年間(1224-25)天満宮別当梅本坊を起源とするといいます。貞和5年(1349)祐観上人中興して、毘沙門天(多聞天)を本尊とし、寶塔山吉祥院多聞寺と称したといいます。境内観音堂の如意輪観音は武蔵野三十三観音霊場5番、多摩八十八ヶ所霊場37番、また東久留米七福神の毘沙門天(多聞天)です。
山号 | 寶塔山 |
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院号 | 吉祥院 |
寺号 | 多聞寺 |
住所 | 東久留米市本町4-13-16 |
本尊 | 毘沙門天像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
多聞寺の縁起
多聞寺の創建年代は不詳ながら、元仁年間(1224-25)天満宮別当梅本坊を起源とするといいます。貞和5年(1349)祐観上人中興して、毘沙門天(多聞天)を本尊とし、寶塔山吉祥院多聞寺と称したといいます。
新編武蔵風土記稿による多聞寺の縁起
多聞寺
除地村の東方にあり。新義真言宗、豊島郡石神井村三宝寺の末、寶塔山吉祥院と号す。大門の両傍に並木あり。本堂7間に6間。本尊不動明王の立像を(長2尺作不知)を安置す。開山詳ならず。境内先住の墓碑最旧きもの権大僧都法印惠定、正保4年示寂と記したるあり。是より古き開基なる事知るべし。
古碑1基
境内にあり。永正2年乙丑2月20日、道西禅門と刻す。
鐘楼
本堂に向て右にあり。楼は2間四面、鐘の径り2尺余。高さ3尺7.8寸、銘なし。安永7戊戌年9月9日、願主当院中興傳燈大阿闍梨大僧都盛誉と刻みたり。
金山権現社。
鐘楼の側にあり。縁起詳ならず。
観音堂
是も同じ邊にあり。4間半四面、如意輪観音(1尺5寸作知らず)を安置す。
古碑一基。
堂の脇にあり。円明禅門寛正3年壬午7月2日とあり。(新編武蔵風土記稿より)
東久留米市史による多聞寺の縁起
多聞寺は、宝塔山吉祥院と号し、真言宗の古刹である。開山は祐観(貞和五年、一三四九没)とされるが、いつ創建されたのか明らかでない。『皇国地誌』には、康元元年(一二五六)創建となっているが、祐観の没年からすればやや尚早で、鎌倉時代末、一四世紀初めごろかと思われる。
当寺は、鎌倉から南北朝にかけては、梅之坊と号したようで、天満宮の別当寺であったが、その後、明応元年(一四九二)、亮慶法印大和尚により中興されて、吉祥院多聞寺となった(享保三年、一八〇三、天満宮棟札による)。
開山祐観から中興の亮慶までの約一〇〇年間については明らかでなく、明和年間(一七六四-七二)に記された過去帳にも、「当寺第二世自淳真僧都、亮慶法印ニ至迄凡百年余ノ中間ハ文明年中之焼亡故一向ニ不分明ナリ」と述べられている。中興の祖亮慶は、石神井の三宝寺(二世)と兼務していたが、明応七年(一四九八)に示寂した。次の亮真(大永五年、一五二五示寂)、賢栄(天安二〇、一五五一示寂)とともに三代にわたって寺院の再興のために力を尽くしたので、板碑が残されている。
その後、江戸時代になって、寛文二年(一六六二)、延享三年(一七四六)の二度に及ぶ火災で伽藍を失った。
旧本堂は、延享三年の火災後、宥厳により再建されたものであったが、近年取り壊されて、鉄筋コンクリートに改められた。この旧本堂は、八間に六間の規模で、方丈系六ツ間取りであった。内陣の須弥壇は保存されているが、禅宗様のもので、腰に百足(むかで)の彫り物が入った珍しいものである。
薬師堂は、『新編武蔵風土記稿』によれば、毘沙門堂と呼ばれており、中に安置された太子作の毘沙門天立像によって吉祥院多聞寺の名が付けられたという。三間四方、宝形で、正面の向拝は新しいが、堂の柱材は古く、江戸中期、宥厳の時に建立されたものであろう。
山門は四脚門で、総﨔造、禅宗様を主とした折衷様の様式で、獅子頭や海老虹梁の彫り物は江戸末期のものながら、よいできばえである。この門は嘉永五年に建て替えられ、古い門は、田無村観音寺(現総持寺に合併)に移されたことが、『公用分例略記』(八七)に記されている。(東久留米市史より)
多聞寺所蔵の文化財
- 多聞寺山門(東久留米市指定文化財)
- 多聞寺三代住職逆修供養板碑(東久留米市指定文化財)
多聞寺山門
江戸時代の嘉永5年(1852)ごろの建立と考えられます。また、天保年間(1830~43)に材木を落合川に流して江戸に運び獅子の彫刻を彫らせたとも伝えられています。
総欅造りの四脚門で、屋根は銅板茸。禅宗様を主とした折衷様で造られています。控え柱(細い柱)
上部の獅子鼻(獅子の形をした飾り)や妻(横側)の海老虹梁(中央が上に湾曲した梁)の彫刻はすばらしく、江戸時代末期における地方の建築技術の特色を示しています。また、柱の上部は二手先(二段組)の斗栱(]の形をした組み手)で大きな屋根を支えており、重厚な趣を感じさせます。(東久留米市教育委員会掲示より)
多聞寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東久留米市史