玉川神社|畠山重忠一族が信州諏訪大社を勧請
玉川神社の概要
玉川神社は、羽村市羽中にある神社です。玉川神社は、畠山重忠一族が信州諏訪大社を勧請して寿永年間(1182-1185)に創建、明治15年根岸地区の日枝神社を合祀して、玉川神社と改称した。明治10年には羽村小学校が建設され、羽村の学校教育発祥地となったといいます。
社号 | 玉川神社 |
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祭神 | 建御名方命、大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、玉神社 |
住所 | 羽村市羽中4-1-16 |
祭日 | 例祭日8月28日、八雲祭4月第2日曜日 |
備考 | - |
玉川神社の由緒
玉川神社は、畠山重忠一族が信州諏訪大社を勧請して寿永年間(1182-1185)に創建、明治15年根岸地区の日枝神社を合祀して、玉川神社と改称した。明治10年には羽村小学校が建設され、羽村の学校教育発祥地となったといいます。
新編武蔵風土記稿による玉川神社の由緒
(羽村)諏訪社
除地、一段二畝三歩、社地十五坪、村の東にあり、本社二間四方の覆屋あり、例祭七月廿八日、吉田派の神職宮澤越後持。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による玉川神社の由緒
寿永年間(1182-1185)畠山重忠一族が信州諏訪大社より勧請、もと諏訪大明神、多摩大明神と称した。末社として八雲神社(素盞嗚命)、玉神社(玉祖命)を祀る。天保年間(一八三〇ー一八四四)社家火災のため、社史不詳。明治二年(一八六九)諏訪神社と改め、同一五年三月根岸地区の日枝神社を合祀、玉川神社と改称した。また、境内には明治一〇年春羽村小学校が建設され、羽村の学校教育発祥地として記念されるべき場所である。
昭和六十一年丙寅年は、御本社諏訪大社の七年目毎の式年造営御柱大祭の暦年にあたり、下社秋宮東御宝殿を拝戴、当社神殿として移築したものであり、鎌倉時代以前からの古い神社建築の様式を遺した貴重な建造物である。なお御神宝として、諏訪大社より頒与の薙鎌と、鎌倉期の松樹双雀鏡を有する。(境内掲示より)
玉川神社所蔵の文化財
- 西多摩小学校発足の地
西多摩小学校発足の地
西多摩小学校発足の地
羽村の学校教育は、明治6年(1873)禅林寺・禅福寺・一峰院などを仮校舎として始まりました。二年後に麻布高須塾から佐々蔚先生を迎えて校舎新築の気運が高まり、中島与一右衛門を中心に、学区取締役指田茂十郎や戸長坂本海助らの尽力によって、この諏訪の森を校地に選定しました。明治10年、間口八間(約15m)、奥行四間の二階建校舎が完成し、羽村と五ノ神村の生徒150人が学ぶようになりました。翌年1月8日に西多摩学校開校式が盛大に行われ、近代教育の第一歩を踏み出しました。その後、生徒数は増え続けて明治34年(1901)には500人に達したので、ここから天王台(現第一中学校所在地)に移されました。(羽村市教育委員会掲示より)
玉川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿