榮慶山東光寺|明治初年上大和田の薬王寺・下大和田の真福寺を合寺
東光寺の概要
真言宗智山派寺院の東光寺は、榮慶山と号します。東光寺は、尊朝法印(元和5年1619寂)が開山となり創建、大和田日枝神社の別当寺だったといいます。明治初年上大和田村の薬王寺、下大和田村の真福寺を合寺したといいます。
山号 | 榮慶山 |
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院号 | - |
寺号 | 東光寺 |
住所 | 八王子市大和田町4-7-1 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東光寺の縁起
東光寺は、尊朝法印(元和5年1619寂)が開山となり創建、大和田日枝神社の別当寺だったといいます。明治初年上大和田村の薬王寺、下大和田村の真福寺を合寺したといいます。
新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起
(上大和田村山王社)別當東光寺
境内四十二間に十六間、新義真言宗、郡内宇津木龍光寺の末、榮慶山と號す、開山尊朝法印、本堂五間に七間南向なり、薬師の立像長二尺なるを安せり。(新編武蔵風土記稿より)
「八王子市史」による東光寺の縁起
東光寺(上大和田村―大和田町一、〇九六)
栄慶山と号し、本尊薬師如来、開山は法印尊朝(元和五年 一六一九 寂)であり、同村山王社の別当であった。昭和二〇年八月二日戦災により本堂焼失し、現在の本堂は昭和二五年子安町福伝寺の本堂(旧観音堂)を移築したものである。
薬王寺(上大和田村)
本尊阿弥陀如来、山号および開山の時期は不明であるが、おそらく江戸中期に建立されたものであろう。今の大和田町二、一四五番地にあったが、明治初年東光寺に合併されて廃寺となった。
真福寺(下大和田村)
矢野山と号し、本尊大日如来、開山の時期は不明であるが、おそらく江戸中期に建立されたものであろう。同村関根明神社の別当であった。今の大和田町一、二一〇番地附近にあったが、明治初年東光寺に合併されて廃寺となった。(「八王子市史」より)
東光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「八王子市史」