乗願寺|青梅市勝沼にある時宗寺院

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勝沼山乗願寺|三田下総守長綱が正安2年創建

乗願寺の概要

時宗寺院の乗願寺は、勝沼山と号します。乗願寺は、三田下総守長綱が日輪寺の平将門供養の席に列した折、時宗2世他阿真教上人に会い、上人を開山に迎えて正安2年(1300)創建したといいます。三田氏滅亡や、その後の豊臣秀吉の小田原攻めに際して焼亡、慶長年間(1596-1614)に24世覚阿性海が再建、慶安2年(1649)徳川家光より阿弥陀堂領3石の御朱印状を拝領したといいます。

乗願寺
乗願寺の概要
山号 勝沼山
院号 -
寺号 乗願寺
住所 青梅市勝沼3-114
宗派 時宗
葬儀・墓地 -
備考 -



乗願寺の縁起

乗願寺は、三田下総守長綱が日輪寺の平将門供養の席に列した折、時宗2世他阿真教上人に会い、上人を開山に迎えて正安2年(1300)創建したといいます。三田氏滅亡や、その後の豊臣秀吉の小田原攻めに際して焼亡、慶長年間(1596-1614)に24世覚阿性海が再建、慶安2年(1649)徳川家光より阿弥陀堂領3石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による乗願寺の縁起

(乗願寺村)乗願寺
勝沼山と號す、遊行派、相模國當麻村無量光寺の末、本堂六間半に七間、本尊三尊の彌陀、立身の木像長四尺、左右の兩尊各長二尺、彌陀領に三石の御朱印を附せらる、縁起によれば春日の作にして、しかも鎌倉執権の頃尊信ありしことも載たれど、此寺天正の比兵火に遇ひ、古書舊物等を失ひしかば、後の世より往事をあみつづりしものなれば、證なきことにて採用となしがたきことのみなり、寺傳には開山眞教なりとて、その事跡寂年等あらましに傳ふれども、これも不信のこと多ければのせず、開基は三田弾正綱秀なり、法名を月照院高山浄源大居士といへるなり。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による乗願寺の縁起

乗願寺 (勝沼山)
勝沼(現・勝沼三丁目)にあり、本尊は阿弥陀如来である。神奈川県当麻山無量光寺末である。正安二年(一三〇〇)、三田下総守長綱が浅草・日輪寺の将門供養の席に列した折、当麻山二世他阿真数上人に会い、その徳に感じ、是非にと上人を請じ一寺を建立したのがこの寺であるという。また一説には鎌倉・光明寺二世白旗寂恵の弟子箕田定恵の開基とも伝える。その後、永禄六年(一五六三)三田氏は滅亡。寺勢も衰徴し、加えて天正十八年(一五九〇)八王子城攻撃の前田利家・上杉景勝軍により焼き打ちのあおりの兵火で炎上したと伝えている。慶長年間(一五九六~一六一四)に至って二十四世覚阿性海が再建し、慶安二年(一六四九)徳川家光から阿弥陀堂領として三石の朱印状を寄せられた。その後、安永五年(一七七六)、寛政二年(一七九〇)と修築されて堂字も整備された。
寺宝の兜前立と正絹の軍旗は三田綱秀の遺品と称され、ともに市有形文化財に指定されている。青梅の生んだ書家、小峯峰真の墓がある。(「青梅市史」より)


乗願寺所蔵の文化財

  • 勝沼山乗願寺(市指定史跡)
  • 兜前立(青梅市指定有形文化財)
  • 正絹の軍旗(青梅市指定有形文化財)

勝沼山乗願寺

神奈川県相模原市当麻・無量光寺(時宗)の末寺で本尊は阿弥陀如来である。正安二年(一三〇〇)三田下総守長綱が他阿真教上人を迎え、開山したと伝えられる。また一説には、鎌倉将軍家久明親王の帰依した鎌倉光明寺の二世・白旗寂恵の弟子箕田定恵の開基ともいう。
天正十八年(一五九〇)兵火のため炎上し記録類が失われた。慶長年間(一五九六〜一六一四)に至り、二十四世・覚阿性海が再建、慶安二年(一六四九)には阿弥陀堂料として三石の朱印地が与えられている。
寺宝に、三田綱秀が用いたと伝えられる兜の前立てと旗指物(軍旗)があり、市指定有形文化財に指定されている。
また、寺域には青梅の書家、小峯峰真の墓がある。(青梅市教育委員会掲示より)

乗願寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」