弘願山西方寺|吉原で嬌名をうたわれた高尾太夫の墓所
西方寺の概要
浄土宗寺院の西方寺は、弘願山専称院と号し、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、明治24年に当地へ移転しました。当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所があります。
山号 | 弘願山 |
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院号 | 専称院 |
寺号 | 西方寺 |
住所 | 豊島区西巣鴨4-8-42 |
本尊 | 木像阿弥陀如来坐像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 高尾太夫の墓所 |
西方寺の縁起
「豊島の寺院」による西方寺の縁起
元和8年(1622)道哲大徳、浅草聖天町吉原土手附近で遊女が無縁仏として投げ捨てられるのを悲しみ道蓮社正誉玄育上人を請じ聖天町に一宇を建立。大正4年(1915)春火災焼失。昭和2年(1927)浅草聖天町より現在地へ移転。(「豊島の寺院」より)
御府内寺社備考による西方寺の縁起
本所押上大雲寺末 浅草聖天町 弘願山専称院西方寺、境内356坪御年貢地180坪、遍照院ヨリ借地176坪。
当寺草創相分不申候。
開山道蓮社正誉上人玄育念死大和尚、俗名相不申候。万冶3年正月22日遷化。
開基順誉無辺光道哲大徳、俗名相不申候。万冶3年12月25日死ス。
本堂、本尊阿弥陀如来、立像3尺2寸恵心僧都作。右本尊汗掛之弥陀ト称ス。道哲之念持仏ト申伝候。
十一面観世音、銅仏立像。両祖師善導円光大師、立像丈3尺。
開基道哲木像、玉眼入丈2尺5寸。
一万日回向供養塔、長1丈3尺、門内ニ在之、年号月施主之名彫付在之。
道哲石像、丈2尺5寸、門内土手際ニ在之。
転誉妙身信女、三浦屋傾城高尾事、万冶3念12月25日死ス。
高尾襟掛愛嬌地蔵、銅仏丈1寸8分本堂安置。
高尾塚、150回ニ新吉原竹屋七郎兵衛建之。
鎮守稲荷社。以上甲乙書上。
西方寺の周辺図