真福寺。横浜市青葉区荏田町にある真言宗豊山派寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

養老山真福寺。旧小机領三十三所子歳観音霊場、都筑橘樹十二薬師霊場

真福寺の概要

真言宗豊山派寺院の真福寺は、養老山と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、法印定譽(天和2年1682年寂)の墓があったことから江戸時代中期には創建していたといいます。大正10年(1921)観音堂のあった当地に移転したといいます。この観音堂に安置されていた観音像は国重要文化財に指定され旧小机領三十三所子歳観音霊場20番となっている他、都筑橘樹十二薬師霊場6番です。

真福寺
真福寺の概要
山号 養老山
院号 -
寺号 真福寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 横浜市青葉区荏田町432-8
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



真福寺の縁起

真福寺の創建年代等は不詳ながら、法印定譽(天和2年1682年寂)の墓があったことから江戸時代中期には創建していたといいます。大正10年(1921)観音堂のあった当地に移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起

(荏田村)真福寺
年貢地、三段許、養老山と號す、村の北の方相州道の東側にあり、これも観福寺と同宗にて同末(新義真言宗王禅寺村王禅寺末)なり、開闢の事跡すべて傳はらず、墓所に法印定譽と云僧の碑ありて、天和二年寂せしよしを刻せり、これ開山なるもしるべからず、本尊薬師坐像にして長一尺四寸、慈覺大師の作なりと云、客殿六間四方坤向なり。
釋迦堂。客殿に向て左にあり、三間半に三間、釋迦は立像にて長五尺二寸、春日の作と云。
稲荷天神合社。釋迦堂に向て右の方にあり。
観音堂
見捨地、四畝、村の北字原根にあり、六間四面にて北向の堂なり、本尊は千手観音立像にて長四尺六寸、行基菩薩の作なりと云、霊験いとあらたなりとて、近郷のもの参詣す、とりわき毎月十七日には群衆せりとなり、堂の前に石階二十一あり。
金剛力士像。境内の入口にあり、左右にならびたてり、石にて造る長三尺ばかり、天和二年造立のよしを刻す。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による真福寺の縁起

真福寺(現本尊千手観音立像)は、ここより北方3.4km離れた処にありましたが、老朽化により当時観音堂(本尊千手観音立像)であった当地に大正10年(1921)真福寺(本尊薬師如来坐像)並びに釈迦堂(本尊釈迦如来立像)を寫し、それぞれの本尊を客仏として安置しました。
本尊の木造千手観音立像(一木造)は、県重文で平安時代末期の作。ふくよかな顔。肩、下腹部・腰の線、衣文の浅い彫り口とともに全体に藤原時代の作風を見せています。手は八臂で、一部に彩色の痕跡が見られます。十二年毎の子歳に開帳される秘仏です。
客仏の木造釈迦如来立像(寄木造)は、国重文で鎌倉時代の作。頭髪は縄をまいたような形で、首まで頃間が覆い、複雑な衣文を鋭い彫法でたくみに美しく彫り出し、顔はやさしい表情をたたえた清涼寺式釈迦とよばれる形式の仏像です。県内には、この他に国重文の指定を受けている称名寺像(金沢区)と極楽寺像(鎌倉市)がありますが、全国的にも数少ない釈迦像の一つです(横浜国際観光協会・横浜市教育委員会文化財課掲示より)


真福寺の縁起

  • 荏田真福寺の奉納絵馬および奉納額等一括二〇八点(横浜市指定有形民俗文化財)

荏田真福寺の奉納絵馬および奉納額等一括二〇八点

荏田は近世において大山街道の宿場として賑わいを見せていた所で、また近在の農村の物資集散地でもありました。真福寺という名称は大正年間に改めて付けられたもので、それ以前は観音堂と呼ばれており、荏田の住民だけでなく、近在の農村からも信仰を集め、多くの絵馬が奉納されました。(観音堂本尊は木造千手観音立像)(県重文)で、小机領三十三所子歳観音霊場として子年のみにご開帳される秘仏です。)
現在残されている絵馬で最古の紀年銘をもつのは、寛政十二年(一八〇〇)のもので、同年の絵馬が三枚あります。絵馬は個人が切実な願望を実現するために奉納したものと考えられ、村人が仏の前で拝む姿を描いた絵馬、馬そのものを描いた絵馬などがあります。
絵馬以外に、宝暦十年(一七六〇)の紀年銘を含む奉納額、扁額、算額、また珍しい奉納物として藁蛇があります。
現在、大絵馬を中心に七十四点が、真福寺本堂内に飾られ、残りは横浜市歴史博物館に収蔵されています。(横浜市教育委員会掲示より)

真福寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿