白幡八幡神社|千住七福神毘沙門天
白幡八幡神社の概要
白幡八幡神社は、足立区千住宮元町にある八幡神社です。白幡八幡神社は、源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源となり祀られることになったといいます。千住七福神の毘沙門天です。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 9月14日 |
住所 | 足立区千住宮元町3-8 |
備考 | 千住七福神の毘沙門天 |
白幡八幡神社の由緒
白幡八幡神社は、源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源となり祀られることになったといいます。
新編武蔵風土記稿による白幡八幡神社の由緒
(掃部宿)八幡社
白幡八幡と號す、當社に源義家奥州征伐の時、かの渡裸川の渡へ建し白幡を持傳へ建しが、後失ひしと云、其幡は元名主庄左衛門が家に傳へしを、當社へ納めしなどいへど、かれが先祖掃部亮は慶長の頃、當所へ来りしと云は、其いふところ更に論ずべくもなし、前と同(不動院)持。(新編武蔵風土記稿より)
白幡八幡神社の由緒
源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源とされ、祀られることになりました。
文禄年間、遠州石出から国替えにより下総国千葉に移り住んだ掃部亮吉胤が武蔵国足立郡本木村に移転、土地を開墾して慶長3年(1596)、千住宿に接して掃部塾を開発。子孫、名主・庄左衛門が元和2年(1615)に創建された氷川神社(千住仲町)に、先祖から伝えられた「白幡」を奉納して「白幡八幡社」として合祀された。(境内掲示より)
東京都神社名鑑による白幡八幡神社の由緒
勧請の年月は詳らかでないが、昔、源義家奥州征伐の時、裸川の渡しに白幡を立て戦勝を祈願したという。その白幡は白幡八幡として氷川神社に伝わったという。明治四十一年現在地に白幡八幡宮を社殿を建て、氷川神社の摂社として信仰された。(東京都神社名鑑より)
白幡八幡神社の周辺図