白幡山不動院|荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
不動院の概要
新義真言宗寺院の不動院は、白幡山薬師寺と号します。不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場45番札所、荒綾八十八ヶ所霊場60番札所です。
山号 | 白幡山 |
---|---|
院号 | 不動院 |
寺号 | 薬師寺 |
住所 | 足立区千住1-2-2 |
本尊 | 不動明王 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場45番札所、荒綾八十八ヶ所霊場60番札所 |
不動院の縁起
不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建したといいます。
足立区教育委員会掲示による不動院の縁起
当寺の本尊は不動明王である。元弘2年(1332)秀天上人の開山という。
もと吉祥院の末寺で、白幡八幡神社の別当と伝えられている。
墓域に、正面「南無阿弥陀仏」、右側面に「芸州」と大書した大きい供養塔がある。これは明治維新の際、千住口から戊辰戦争に従軍した芸州藩の軍夫、従属者のうち、千住近在から参加した者の戦死者を永代供養したものである。
また、川魚料理人の人たちが、魚類の冥福を祈るために建立した包丁塚の碑がある。
本寺は、千住宿の問屋場に近いところから宿場関係の人々の墓石が多い。明治9年(1876)6月2日、明治天皇東北巡幸のとき御急休息所になった中田屋の墓、千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塔などがある。(足立区教育委員会掲示より)
足立風土記資料寺院明細による不動院の縁起
小本寺吉祥院末 東京府管轄武州足立郡千住宿北組 白幡山不動院
創立元弘2年2月、秀天開山、色衣ハ一色寺格。 第20世住職明雲、壬申56歳。東京府管轄麻布永坂町商堀川文蔵三男、文政7年3月15日周准郡周准県管轄篠部村於万福寺、慶応3年3月10日入寺、東京愛宕真福寺地中長久院ヨリ移転、和州城上郡初瀬本山小池坊留学6ヶ年。
弟子栄歓、壬申24歳。飾磨県氏族小寺誠助二男、安政5年3月15日東京府管轄武州足立郡下千葉邑於正王寺得度。以上僧二人。
境内、但除地、1反7畝5歩。檀家、200軒。門末庵室等無之(明治5年項)
新編武蔵風土記稿による不動院の縁起
新義真言宗本木村吉祥院末白幡山薬師寺ト号ス。本尊不動興教大師ノ作ナリ。当寺ハ昔二丁目ニアル慈眼寺ノ護摩堂ナリシヲ後一寺トセシナリ。(新編武蔵風土記稿より)
不動院の周辺図