文殊山養福寺|荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
文殊山養福寺の概要
新義真言宗寺院の養福寺は、文殊山薬師院と号します。養福寺の創建年代は不詳ですが、永正元年(1504)に賢空が中興開基したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場53番札所、荒綾八十八ヶ所霊場88番札所です
山号 | 文殊山 |
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院号 | 薬師院 |
寺号 | 養福寺 |
住所 | 足立区綾瀬2-19-13 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | 墓地受付中 |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場53番札所、荒綾八十八ヶ所霊場88番札所、旧北野神社別当 |
養福寺の縁起
養福寺の創建年代は不詳ですが、永正元年(1504)に賢空が中興開基したといいます。
「ブックレット足立風土記綾瀬地区」による養福寺の縁起
養福寺(綾瀬2−19)
新義真言宗の寺で、本尊は薬師如来です。
1504(永正元)年に賢空という僧により、中興開基されたと伝えられています(「新編武蔵風土記稿」)。本堂正面右軒下にある半鐘は、1683(天和3)年9月の鋳造で、1699(元禄12)年に鋳直されたものです。(「ブックレット足立風土記綾瀬地区」より)
新編武蔵風土記稿による養福寺の縁起
(普賢寺村)養福寺
新義真言宗、青戸村寳持院末、文殊山薬師院と號す、永正元年賢空と云僧中興開基して薬師を本尊とせしより今の院號はをこれり。(新編武蔵風土記稿より)
「足立風土記資料寺院明細」による養福寺の縁起
小本寺宝持院末 東京府管轄武州足立郡普賢寺村 文殊山養福寺
創立貞享2年、栄宣開山、香衣一色寺格
但当住無之、堂管轄葛飾郡青戸村宝性院住職永鍐兼務
境内 670坪、但除地
檀家 42軒
門末庵室等無之(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)
養福寺の周辺図