恵日山宝寿院|武蔵千葉氏の祈願所、荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
宝寿院の概要
真言宗豊山派寺院の宝寿院は、恵日山妙尊寺と号します。宝寿院は、武蔵千葉氏の祈願所として応永元年(1394)に創建したといいます。当寺山門(薬医門)付近の土中から文永9年(1272)刻銘の板碑が発見されています。また、近辺を「小屋の内手」と言い、中曽根城(中曽根神社社地)と縁の深い地です。荒川辺八十八ヶ所霊場34番、荒綾八十八ヶ所霊場11番です。
山号 | 恵日山 |
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院号 | 宝寿院 |
寺号 | 妙尊寺 |
住所 | 足立区本木東町27-20 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 荒川辺八十八ヶ所霊場34番札所 |
宝寿院の縁起
宝寿院は、武蔵千葉氏の祈願所として応永元年(1394)に創建したといいます。
「ブックレット足立風土記西新井」による宝寿院の縁起
宝寿院
真言宗豊山派の寺院で恵日山妙尊寺と号します。草創は1394(応永元)年で、武蔵千葉氏の祈願所であったと伝えられています。本尊は、脇侍に(矛に今)羯羅童子・制(ダキニのダ)迦童子を配した不動明王坐像です。十王堂(閻魔堂)は本木3丁目2634番地(現本木北町2番地付近)にあったとされるお堂で、1877(明治10)年に宝寿院に移されました。本尊は阿弥陀如来坐像で、十王堂の名の由来となった十王像も宝寿院に移されています。(ブックレット足立風土記西新井より)
新編武蔵風土記稿による宝寿院の縁起
(本木村)寳壽院
吉祥院の末なり、応永元年の起立なりと云、恵日山妙尊寺と號す、本尊不動を安ず。(新編武蔵風土記稿より)
「足立風土記資料寺院明細」による宝寿院の縁起
小本寺吉祥院末 東京府管轄武州足立郡本木邑 恵日山宝寿院
創立応永元年、賢長開山、色衣ハ香衣一色寺格。但当住無之、東京府管轄武州本木邑吉祥院住職行阿兼務
境内 但除地 1反9畝28歩
檀家 20軒
門末無之 庵室1ヶ所(十王堂)(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)
十王堂について
宝寿院庵室 東京府管轄武州足立郡本木邑 十王堂
創立年暦・開山不詳、但住職無之、東京府管轄武州足立郡本木邑吉祥院行阿兼務
境内 8畝6歩但除地
檀家 無之(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)
宝寿院の周辺図